無料レンタルサーバー
わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
カテゴリー



最近のコメント



カレンダー

03 | 2019/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -



プロフィール

たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



ブログ内検索



ご注意!!

工作には多くの危険が伴います。薬品や機械・工具の扱い等、安全の確保には常に各自が細心の注意をはらうようお願いいたします。制作者は時折無謀とも暴挙とも思える信じがたい不注意な行動を取ることがあるかもしれませんが危険行為を推奨するものではありません。また、当ブログに掲載されている内容は必ずしも適切であるとは限りません。もし閲覧者が当ブログを参考に行動し何らかの損害を被っても当ブログ(制作者)は一切責任を負いません。必ず自己の判断と責任において行動してください。



Access Count



塩原電車軌道(廃線跡)


塩原電車はかつて西那須野駅から旧塩原町手前のガマ石までの14.6kmを結んでいた軽便鉄道。廃止は昭和11年(1936)と古く、もはや80余年が経過し、地元の古老ですら「子供の頃に国道脇に少し砂利や枕木が残っていたのを憶えている」といった程度で、ご覧のとおり跡形もなき廃線跡を、また性懲りも無く妄想力を頼りに辿るサイクリング。

cy_sobrdskd_b.jpg

というわけで、JR東北本線・西那須野駅まで来てみました。当時の地図によるとここから栃木県道317号西那須野停車場線に沿って国道400号と合流するまでしばらく北上することになるのですが…

cy_sobrdskd_c.jpg

しかし別の郷土資料によると当時の塩原電車は現在の駅前広場のあたりに発着していたらしく、駅周辺を散策していて見つけたのがこの駅前公園路地裏の細い直線。ムム!何気に怪しい!(笑)もしかしてここがそうだったのかなぁ?ちなみに県道317号はこの建物一軒のすぐ右隣を通っていてピッタリ並走しているところが興味深い。

cy_sobrdskd_d.jpg

そんなわけで、とても雰囲気のある細い路地でしたがしばらく進むと結局県道317号と合流。

cy_sobrdskd_e.jpg

あとはまぁ、普通に退屈な県道脇のサイクリングとなるわけですが…

cy_sobrdskd_e1.jpg

しかしサイクリングとは全然関係ないけど、途中で赤瀬川的「トマソン」を発見して和やかな気分に(笑)

cy_sobrdskd_f.jpg

さて、しばらく直進し国道4号と交差するここが当時の“三島駅”だったらしいのですが、まぁ当たり前ですが現在は跡形もありません。

cy_sobrdskd_g.jpg

そしてこのあたりが“烏森公園駅”と思われます。理由は…

cy_sobrdskd_g1.jpg

こんな標石が残っていたので。。それ以外には推し量るものがないので何とも。。

cy_sobrdskd_h.jpg

そしてこのあたりが“三島神社前駅”かと思われます。理由はすぐ左手が三島神社なのと、道幅や花壇などの用地がやけに広いから。ちなみにこの日は三島通庸公にもご挨拶がてら宮司さんや近所の方から古老トークを少々(笑)

cy_sobrdskd_i.jpg

次の停車駅“稲荷山駅”は正確な場所がわからず、勝手にこのあたりと仮定。ご覧の通り道路わきに線路跡すら見当たりませんが、当時の地図を見ると三島神社前あたりで道路はクランク状に曲がっていて(三島通庸による意図的な設計)線路は道路と交差し右側の路肩に移っているようにも見え、実際に道路右手のほうがそれらしい長い空き地が目立つので何となくこのあたりではないかと想像(違うかもしれません)。

cy_sobrdskd_i1.jpg

そして“赤田駅”は丁度県道と国道が合流するセブンイレブンのあたりではないかと思うのですが西那須野駅からの累計距離から推測する以外に特に根拠なし。

cy_sobrdskd_j.jpg

そして、漠然とこのあたりが“御嶽山道駅”…かな?

cy_sobrdskd_j1.jpg

というか、その根拠がこの参道(山道)?みたいな(汗)だって概ね平地続きで他にこのあたりには山道と呼べるような高台がないし…
ただし、別の郷土資料によるとココが“稲荷山駅”で、当の“御嶽山道駅”は現・狩野郵便局付近だという話も。。でもそれだとwikiに載っている当時の路線資料の区間距離と合わないのよね。。塩原電車は年代により廃止駅や新設駅が不確かでwikiのデータも果たして正しいのかどうか。。

cy_sobrdskd_k.jpg

ほどなく、東北道・西那須野塩原インターチェンジあたりから道路わきに思わせぶりな石組みが続き「いや、これは違うだろ…」とは思うのですが、盛り土の高さ的には鉄道に丁度良く「そうであってほしい」というただの願望(笑)

cy_sobrdskd_k1.jpg

一応、街路樹にアタマを突っ込んで裏手を撮影。こちら側にはずっと掘割が続いており、これはこれで「線路跡であってほしい」という願望にこれまた悩む(笑)

cy_sobrdskd_l.jpg

それからしばらく進んで千本松牧場のあたりまで来たのですが“千本松駅”も丁度このあたりのハズで…って、ちょっ!おま!

cy_sobrdskd_l1.jpg

もしかしてこれがそうなんじゃないの!?バス停を“当時の駅っぽく演出”しているのでは?ちなみに、古い地図でも、西那須野駅からの累計距離的にも、この場所が当該するのでこれは案外正確かも。

cy_sobrdskd_l2.jpg

千本松牧場を過ぎてからはしばらくは何もなく、憶測ですが線路は道路右側の農場内の用地の中を通っていたのでは。

cy_sobrdskd_m.jpg

そしてこのあたりが“金沢道駅”のあった場所ではないかと思うのですが詳細は不明。

cy_sobrdskd_o.jpg

それからしばらく進んで関谷地区に入り、左手に国道400号の旧道が見えてきたら進路を左に。

cy_sobrdskd_o1.jpg

しかし、このあたりから線路跡は国道からさらに左手に逸れはじめるので、適当な路地を左折して最寄の道路を利用し線路跡を追うことに。

cy_sobrdskd_o2.jpg

古い地図を現地図に重ねてみると、林と林の間の民家のあたりがどうやらそれっぽく、多分この矢印のように線路が走っていたのではないかと想像。

cy_sobrdskd_o3.jpg

そしてここで現在の道路と重なるのですが、ここが当時の“関谷駅”のあたりかと思われます。ここは大正時代の地図にも駅が載っているのですぐにわかりました。まぁ軌道時代と電化時代で駅の場所が違っているかもしれないので定かではありませんが。

cy_sobrdskd_o4.jpg

それからさらに道なりに進むと、思わず「ビンゴッ!」と叫びたくなるようなコテコテの廃線跡出現(笑)これは雰囲気がありますね!

cy_sobrdskd_o5.jpg

さっそく中に入ってみるのですがこの狭さがいかにもそれっぽくてイイ~!

cy_sobrdskd_o6.jpg

しかしほどなくして県道30号矢板那須線と交差し民家に突き当たって終了。もしかするとこの民家の裏手を探れば何らかの痕跡があるのかもしれませんがトラブルになるのが嫌なので迂回。

cy_sobrdskd_p.jpg

そして、ここから線路跡は大きく左手にカーブし、いよいよ山越え区間に。

cy_sobrdskd_q.jpg

線路はこの畑の中を突っ切って走っていたようですが、盛り土の跡なんてさすがに残っているわけないですよね。。

cy_sobrdskd_q1.jpg

そして、水路を越えさらに左折。ちなみに左手の藪には入っていないので橋の痕跡が残っているかどうかは未確認。まだ季節的に藪が深いのと、今回は装備がグラベルロード&ピチピチパンツなモンで(汗)

cy_sobrdskd_q2.jpg

それから当時の地図によるとこの農道の右脇に平行して線路跡があったハズなのですが、藪がボーボーで全くわからず。

cy_sobrdskd_q3.jpg

ほどなく農道が藪化して道筋が怪しくなってきたあたりで、恐らく矢印のように線路が走り、大きく切り返して登っていたと推測。しかし残念ながらこれ以上の探索は断念せざるを得ず。冬場にマウンテンバイク&登山靴の装備なら探索可能だったかもしれませんが、ここ塩原は冬は白銀の土地なのでそれはそれで難しい…
とまぁ色々と難癖をつけて突入を躊躇しているわけですが(笑)でも一番の原因は、なんだかんだで周囲に人家が疎らにあり、今ここで考えている間にも近くの家の犬がギャンギャン吼えまくっていてとても探索どころではないというのがホンネ。これが人気(ひとけ)のない山奥の廃道なら構わず突入なのですが、中途半端に人が住んでいる所は非常にやりづらい。。

cy_sobrdskd_q4.jpg

やむなく、国道400号の旧道に迂回して探索を続けるのですが、こうして登ってきた国道を振り返ってみると、この勾配と急カーブではさすがに鉄道を通すことができずに塩原電車は山の西斜面を迂回したのだろうなぁと。一説によると塩原電車が通った西のルートは近代以前に存在したと思われる関谷宿を通る道がベースになっているとか。現在の国道は明治時代に三島通庸によって通されたものがベースですから、なかなか興味深いです。

cy_sobrdskd_r.jpg

それから、今度は山の上からルートを逆に辿り線路跡を探索しようと企んでいたのですが、ご覧のとおり現地は個人所有のリゾート施設(別荘地?)となっており、部外者が入り込もうものなら即通報も辞さないといった警告があり、まさに「にべもない」といった状態につきあっさり断念。下界のプアランドからやってきた自分は「愚子危きに近寄らず」だ(笑)



しかし、警告板のすぐ後ろの山林を覗くと、おもいっきり線路跡と思われる盛り土が続いているのが見えて思わずウォオッ!と興奮!ただ肉眼だとハッキリ見えるのに撮影するとなぜかわけがわからん写真になってしまうので一応マウスオーバーでラインを書き足した画像に切り替わるようにしてみました。

cy_sobrdskd_r3.jpg

この盛り土は概ね国道と並走する形でしばらく続くので、チャリをガードレールに立て掛けてじっくり観察できてイイ感じ。無造作に植林されまくっていて木々の隙間から辛うじて覗ける程度ですが、肉眼だともっとハッキリと盛り土の線路跡が確認できます。場所によっては3メートルぐらいうずたかく土が盛ってある区間もあり結構見応えがあったりして。ここぐらいですかね唯一の遺構らしい遺構は。

cy_sobrdskd_s.jpg

さて、盛り土を目で追いながら国道を進むのですが、このあたりが“新塩原駅”があったと思われる場所です。

cy_sobrdskd_s1.jpg

そして一応振り返ったところも撮影。前方の藪からピンクのラインのように線路が走っていたと推測。それからこの右手の細い脇道に入り込んで廃線跡の探索を試みようとするも、やはり「関係車両以外立入禁止」との事。残念。

cy_sobrdskd_t.jpg

ほどなくして、だいぶ観光地っぽくなってきたところでガマ石トンネル前の終点“塩原口駅”も近づいてまいりました。

cy_sobrdskd_t1.jpg

一応、ガマ石トンネル手前の橋の開通により三日月路となった旧道も残っていますので、廃線跡サイクリングとしてはコチラをチョイス。

cy_sobrdskd_t2.jpg

というわけで、旧道を出た突き当たりのガマ石園地が終点の“塩原口駅”跡です。どうもお疲れ様でした。

【余談】
cy_sobrdskd_u.jpg

さて、当日は帰路で博物館に寄って郷土資料を大人買いしてきたのでそれらの中から当時の写真をいくつか転載したいと思います。

cy_sobrdskd_u1.jpg
(西那須野町の交通通信史より転載)

まずこちらは明治45年(1912)の運転開始当時の塩原軌道の蒸気機関車。ドイツのクラウス社製車両とアメリカのポーター社製2車両との事ですがどれがそうなのかはわかりません。

cy_sobrdskd_u2.jpg
(那須野が原の道より転載)

そしてこちらが大正11年(1922)に電化された車両。当時は花で飾った車両を運転していたようで、写真の場所は関谷駅との記載。

最後に、塩原電車軌道のルートをGPXデータにて掲載いたしますので、興味のある方はGPSやスマホ等に取り込んでご活用いただければと思います。


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://wasura.blog86.fc2.com/tb.php/1216-7f7082c2