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わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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鬼怒川自転車道の表と裏


極度な地元ネタで恐縮ですが、栃木県央部に住むロードバイク乗りにとっては当たり前すぎてもはや空気みたいになっている鬼怒川サイクリングロード。当然、数々のサイトやブログなどですでに広く紹介されまくりで、いまさらここで取り上げる必要があるのか?という疑問がないわけでもないのですが調べを進めると取るに足らない細かい情報が色々出てきてしまい、さりとてあまり詳しくやりすぎるのも読むのがメンドクサイだけなので自分が面白いと思った部分だけ独断と偏見で編集しました。そんな鬼怒川自転車道の表から裏までをグラベルロードバイクでご案内。

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てなワケで、鬼怒川自転車道の現在の起点、砂ヶ原橋の下からスタート。さて、まず最初にご紹介しておきたいウンチクなのですが、ごらんの通りこのサイクリングロードは昭和50年(1975)に認定された“れっきとした県道”です。
基本情報としては、昭和57年(1982)に完成。柳田橋~大道泉橋間全長25kmとなっているのですが、当時の大道泉橋は平成8年~22年にかけて廃止され別の場所に付け替えとなったので現在の地図では砂ヶ原橋が起点となり、Wikiによると正確な距離は約24.7kmのようです。

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それから、路面などの状況は?というとご覧の通り、ヒビ割れて草がボーボーといった塩梅で、ついつい並走する河川管理道路のほうを走ってしまうのですが、今日は折角グラベルロードで来たので本来のサイクリングレーンをガシガシ走る(笑)

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こちらは東蓼沼公園。道中には公園や運動場などがありトイレと水には困りませんが、食べ物は手に入らないので一気に走りきってしまうか、のんびりサイクリングの場合は予めお菓子など持参するしかありません。

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公園を出てすぐに遭遇するこちらの橋は北関東自動車道(高速道路)の鬼怒川橋。このサイクリングロード中の最新の橋で、この位置から眺めるSF的な構造美が個人的に大好き(笑)



さて、ほどなくして遭遇するこの交差点、特にこれといった特徴もないのですが、答えは画像にマウスカーソルを載せて絵を切り替えてみると分かります。
そんなワケで、実はこの手前の細い道路は写真の奥に見える“県道193号雀宮真岡線+宮岡橋”の大正時代の旧道だったりします。画像に重ねたピンクのラインがそれなのですが、当時の地図では堤防を越えて河川敷の中まで道路が描かれているものの橋の記載はなく、渡し舟で川を渡っていたようです。ちなみに、鬼怒川に橋を架けようという機運が高まったのは大正15年頃で「芳賀郡と河内郡、下都賀郡の町村長からの連名で当時の栃木県知事藤岡兵一あてに陳情書を提出した(真岡町史 第4巻 近現代資料編)」とあり、当時の人々が暮らしの中でどのように鬼怒川と向かい合ってきたかを想像するのもなかなか面白いのでは?



それからしばらく進み“国道121号線+桑島大橋”の手前あたりに位置するここも先ほどの宮岡橋と同じく、旧道跡だったりします。マウスオーバーで画像を切り替えてご覧ください。
当時はもっと堤防ギリギリの所に川筋があり、渡し舟で渡ったようですが、もしかすると国道なので木橋ぐらいは架かっていたかもしれません(大正時代の地図が不鮮明にて詳細不明)。

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ちなみに、向こう岸を見ると今でも木橋がかかっていますが、当時とは川筋が違っているし場所もズレているのでそれとは別の橋でしょう(可能性はある)。しかし、あの橋には実はもう一つネタがあるのですが…詳細は後ほど帰路で。

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こちらは途中にある公衆トイレらしき施設。自分は勝手に“ロッテン場”と呼んでいるのですが、利用者がいないので荒れ果てていて結構気に入ってるゾンビ公園です(笑)

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さらにしばらく進み、鬼怒橋に遭遇。この橋がサイクリングロード中で最古の橋となり県の土木遺産にも認定されていてレトロかっこイイ。橋脚の石積みやアーチが素敵なトラス橋ですが、工事着工は明治41年(1908)と古く、数々のアップデートを繰り返し、現在の鉄橋となったのが昭和6年(1931)との事。現・国道123号(通称:水戸街道)にかかる茨城県との重要路線ゆえ、古い時代からすでに存在していた永久橋で歴史の重みを感じますね。ちなみに現在はすぐ横に昭和49年(1974)完成の新鬼怒橋が架かっていて完全に役目が交代し旧道化していますが通行は可能です。



鬼怒橋からしばらく進んだこちらの交差点も、もうすでにお解かりかと思いますがマウスオーバーにてご確認ください。
画像の右奥に小さく見えるのが終点の“柳田大橋+県道64号宇都宮向田線”なのですが、ここがその旧道(通称:柳田街道)です。ここも堤防を越えて一旦河川敷に降りてから渡し舟で川筋を越えていたようですが、他と同様、地形にはその痕跡すら残っていません。

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ちなみに左手の細いのがその柳田街道。実は現在の地図でもちゃっかり柳田街道と記載されていますがサイクリングロードにすら負けてる有様で大正時代からぜんぜん進歩なし(笑)当時からすでに宇都宮市内と芳賀郡・那須烏山市を結ぶ主要路線(県道もしくは一等里道)だったハズなのですが。。徒歩やチャリ程度の往来しかなかったのでしょうか?

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そんなワケで、終点の柳田大橋を渡る図。これにて“鬼怒川自転車道のオモテ”は終了です。

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そして、ここ道場宿緑地から“鬼怒川自転車道のウラ”である対岸コースのスタートです。

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さて、緑地公園を過ぎるとほどなくダートとなり「待ってました!」とばかりに張り切って突入するものの、ここは砂利粒が大きいのでグラベルロードバイクだと実はあまり楽しくない。ちなみに奥に見える高台が飛山城史跡公園です。

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史跡公園を過ぎると路面は舗装路となりしばらくは快適(単調)な堤防サイクリングとなります。

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が、油断しているとこうなる。。

これは他の河川の流入などによる地形の変化で、堤防が突然終了し代わりに河川からもっと離れた所に外堤防が出現するので、事前に察知してレーンチェンジをする必要があります。こういった状況がいくつかあるので注意が必要です。

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というわけで、内堤防から外堤防に乗り換え。一応、堤防道路は河川管理道路という名目になっていて一般車両は「通行をご遠慮ください」という表現になっていますが、チャリはさほど迷惑にもならないと思うし最悪の場合は担いで降りられるのでいっそ使わせていただきましょう。車はほぼ通りませんし近所の人が犬を散歩しているぐらいですから、使い勝手はサイクリングロードとさして変わらず快適です。先ほどのようなレーンチェンジさえなければ…ですが。

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それから、堤防道路は正規のサイクリングロードではないので、橋にぶつかるとそのまま無責任に途切れてしまったりするのですが、ここ桑島大橋は珍しく暗渠が用意されており通り抜け可能で親切。

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…と思ったらご覧の有様でした。

まぁこのぐらいのほうがこちらとしても走り甲斐がありますけどね。

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ともあれ暗渠をくぐり振り返って撮影。なんと、将来の拡幅用と思われる橋の構造物がすでに建造されています。黒ずみ具合からしてかなり時間が経っている様子。

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しばらくしてまたレーンチェンジ発生。ここは左手前方にすでに外堤防が見えているし見通しが良いので簡単。もしサス付きマウンテンバイクならこのまま空母の甲板から射出される戦闘機のようにジャンプしてみるのも一興かもしれませんけど(笑)

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それからまたしばらく進んで往路で見た木橋に到着。が、なぜか通行禁止措置。

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そんなワケでここらでネタを明かしますが、この写真は平成27年9月の関東・東北豪雨の後に撮影したもので、このとき橋は完膚なきまでに破壊されました。当時は茨城県常総で鬼怒川の堤防が決壊し大きな被害をもたらした事はまだ記憶に新しいですが、惨禍から3年が経過しすでに木橋は復旧されている(ように見える)にもかかわらず通行止めの措置がとられている理由は…わかりません。オレも知りたい。

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それから、木橋から先は堤防が終ってしまうのでやむなく脇のダートを辿るのですがこちらも長続きはせず、諦めて左手に回り国道408号を使って迂回するしかありません。理由はこの先の土地が高台なっているので堤防を設ける必要がなく河川道路も存在しないから、です。

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そんなわけで、やや気分がシラケますがやむなく国道で迂回。この先の交差点を右折し宮岡橋に向います。

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ともあれ鬼怒川に戻ってきました。気を取り直してまた堤防道路を辿ってみたいと思います。

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しばらくは単調な直線が続きますが今度は上三川町の木橋に遭遇。ここも平成27年の関東・東北豪雨の際に通行不能になっていたハズなのですが、現在は復活しています。ちなみに、自分はこういったショボイ木橋が何気に好きで、台風の季節が過ぎるとつい安否を確認に来てしまいます(汗)

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そして木橋からさらに南下を続けると鬼怒自然公園にぶつかって堤防は断絶。

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公園内はローラー車で砂利を圧縮したような状態なので非常に走りやすく、グラベルロードバイクでも楽しくカッ飛ばせるのですが、ここはサッカー大会などが開催されると児童や保護者でごった返すときがあるので注意が必要です。

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公園を抜けると森の中のダートとなり、路面が水溜りだらけでこれを避けたり飛び越えたりするのが案外楽しい。

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そして、森を抜けたと同時に復活する外堤防上に突如現れる河岸渡舟場遺跡記念碑。ここが裏サイクリングでの一番の発見というか、まぁ渡し場の痕跡は何も残ってはいないのですが、ここが渡し場だった事を伝える石碑があるだけでも正直ありがたい。



ちなみに、マウスオーバーで新旧が切り替わるこの地図上でも石碑の場所と当時の渡し場は完全に一致していて嬉しくなる。
それから、引用元は失念しましたが、どこかで読んだ文献では「当時の鬼怒川河岸はおおよそ1.3kmごとに渡し場が存在し大いに栄えた」らしいので、おそらく地図上の旧街道跡だけではなく、他にもモグリでやっていた渡し場もあったのかも?などと往時の妄想が膨らみます。

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“県道47号真岡上三川線+鬼怒大橋”を越えてからは真岡鬼怒公園ゴルフカントリー沿いのサイクリング。人工緑地ではありますが、このスカッと突き抜けた景色を眺めながらのサイクリングはなかなかに爽快です。ちなみに直線が終って道が左手にカーブし始めたら堤防を降りて外堤防にレーンチェンジ。ドン尽きまで行ってしまうと自動的にゴルフ場にご入場となってしまいます(笑)

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そしてこちらが外堤防。ここが鬼怒川裏サイクリングロードの最終区間となります。

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右手にはまたゴルフ場の景色が続き、路面は公園化整備されていて非常に快適。

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左手には三日月湖と思われる池があり、野鳥やカルガモの親子がのんびり泳ぐ姿を眺めながらの癒しサイクリング。ここは裏コース中で一番オススメのスポットです。

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そんなわけで、この黄色のゲートで鬼怒川サイクリングロード対岸コースは終了し、その先に見える砂ヶ原橋を渡れば鬼怒川自転車道の起点に戻ります。どうもお疲れ様でございました。
ちなみに総距離は往復でも50kmぐらいなのですが途中にダートを含むのでマウンテンバイクやクロスバイクでののんびりサイクリングが良いかも。ただし堤防のレーンチェンジ等が少々解りづらいのでコースのGPXデータを載せておきます。GPSやスマホなどに取り込んでご活用いただければ幸いです。



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