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わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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【鉄ちゃん】東武矢板線廃線跡(後編)


東武矢板線廃線跡を辿るサイクリング前編に引き続き、後編は玉生~高徳までの区間をレポート。思いのほか遺構の残存状況は良好で好奇心を刺激する楽しい行程ですが、走り終えてふと気づいたのは、やはり鉄道跡だけあって「山間部のわりには高低差が少なくラクに走れた」というサイクリング的視点からの面白さで、プロフィールマップ上では廃線跡のほうが現在の幹線道路よりも約20mほど勾配を緩和している事がわかり「なるほど!」と。

cy_rtbyts_a1.jpg

さて、のっけから些細な道路考察につい熱くなってしまいましたが(汗)閑話休題で前回の続きに戻し、玉生市街地を出てすぐの国道461号から。矢板線営業当時もほぼ同じ位置にあった道路なので廃線跡もしばらく道なりに並走する事になるのですが、この先にちょっとした丘越えの部分があり、勾配の変化に弱い鉄道はトンネルを掘って越えていたワケですが、古い地図にもちゃんとトンネルの表記があり、このあたりにその痕跡が残っているハズなのですが…

ではここでクイズです! トンネル跡はどこでしょう?
実はすでにこの画角に入ってます(笑)

cy_rtbyts_a2.jpg

というわけで、正解はココです!

え!?… そんなもんわかるかっ!!

…とお叱りの声が聞こえてきそうですが、自分も最初は気がつかずスルーしてしまい復路でもう一度詳細に現場を調査して「あ!マジすか…?」と気づいた次第。。そんなわけで現在はもう完全に私有地になっていて入ることすらできないのでこうして歩道からズーム撮影をするのがせいぜいです。

cy_rtbyts_a3.jpg

一応デジカメの画像をなるべく拡大してみましたが、トンネル自体の保存状況は良好でほぼ当時の坑門と思われますが、なにげに上に乗っている建物が魔改造過ぎて泣けます。どうやら建設会社の社屋の一部(資材置場?)になっているようで、これはお金を出して土地を買った人の自由なのでどうにもなりません。鉄ちゃんの皆様におかれましては、迷惑にならないよう遠くから眺めて楽しみましょう。

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さて、しばらく国道461号を進み、塩谷中学校近くのこのあたりから廃線跡は国道から分かれるのですが、当時のライン(水色の部分)は田圃になってしまっているのでピンクのラインで迂回。

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ここから当面は長閑な一直線となりようやく快適なサイクリングに。

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しばらくして、右手に駅らしき構造物と遭遇!これは非常にわかりやすい。どうみても駅跡にしか見えない。

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というわけでチャリを降りて確認。“芦場駅(よしば)”で確定。だってそう書いてある(笑)これは近隣の自治体が花壇として保存しているようです。イイネ!

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それから芦場駅の対面の写真がこちらなのですが、近くには大きな製材所があり「ああ、なるほど」と思ったのですが、矢板線の廃止理由は他の廃路線同様にモータリゼーション(自動車の普及)という社会の変化によるものなのですが、もう一つの理由が「周辺地区における林業と鉱業の衰退による経営不振」だったらしく、いまでもこうして木工関連の事業所があるところを見るとなんとなく頷けます。

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それからもう一つの鉱業のほうなのですが、昭和4年の地図を見ると芦場駅と次の天頂駅の区間には天頂鉱山、日光鉱山があり、他にも地図上には釜澤鉱山、野州鉱山などが散在し、合点がゆきます。
ちなみにネットで調べたら今でもこの製材所の脇の道から山へ入ると日光鉱山の廃坑跡が残っているようです。

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さて、芦場駅を過ぎてから地図上では一見すると廃線跡は消滅しているのですが道路自体はちゃんと残っていたりします。理由は私有地(宇都宮大学の演習林)になっているからで、徒歩やチャリは通れますのでご安心を。しかしクルマは通行禁止ですので入らないように。ちなみに無理矢理入ったところで中間地点にガッツリとクルマ止めがあるうえUターンもできないので不埒な考えを起こさぬようご注意ください。

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そして、宇都宮大学演習林の中を走行中に「ややっ!あれは!」とどこかで見たコンクリート柵と遭遇!

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これは間違いなく“東武線のコンクリート柵”ですね。うれしい遺構発見です。

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さて、宇大の演習林を出て再び右手の国道461と合流するこのあたりが“天頂駅(てんちょう)”があったと思われる場所なのですが、廃線跡は真っ直ぐ続くのでその右寄りにある樹木と建物(天頂公民館)のある緑地がそれなのでは?

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天頂駅を過ぎそのまま廃線跡を忠実にトレースして来ましたが、ご覧のとおり無情にも国道461バイパスにぶった切られ、廃線跡は道路の向こう側に…

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そんなわけで、クルマがビュンビュン通る騒がしい国道を迂回して対岸まで来ました。ここからしばらくはまた長閑な一直線を満喫できます。

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しかしあまりにも快適に走れるのでついカッ飛ばして通り過ぎてしまいそうでしたが、ここが“船生駅(ふにゅう)”跡ではないでしょうか?ここもコンクリートの残存構造物が見るからに駅のホームっぽい。

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駅舎跡と思われる向こう側にはかつての駅前商店街らしき雰囲気が残る小さな通りがあり、やはりここが船生駅跡で確定でしょう。

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しばらく進むうちにいくつかの小川と橋を渡るのですが、もしやと思って調べてみるものの、銘盤には“新”の文字が入っていて、やはり鉄道用の橋梁から、一般道用の橋に架け替えられているみたいです。形がそもそも違いますからね。

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さらに進むと日光北街道と交差するのですが、ここは当時、踏切があったハズだと思ってよく見たら、自分がチャリを立て掛けている部分が遺構だった(笑)どうみても黒と黄の踏切ストライプ。
ちなみに、駅があった場所は写真左の白い建物の向こう側あたりのハズですが…

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ご覧のとおり、駅の痕跡は見つけられませんでした。ちなみに、写真左手の電柱の脇にちょっとした空きスペースとベンチがあるのでもしかすると?

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しかしここで大きな謎が。。Wikiによる当時の路線ではここは“西船生駅”となっているはずですが、昭和4年の古い地図では“ふにゅうしんでん”という駅名になっており、駅の痕跡も見つからず不可解。
そこで、個人的な仮説なのですが、矢板線の沿革を振り返ると、

大正13年(1924)3月1日に下野電気鉄道により高徳~天頂間が先行開通
昭和4年(1929)10月22日に天頂~矢板までの全線開通
昭和5年(1930)6月10日に西船生駅が開業


…とあるので、もしかして“船生新田駅”はその過渡期に一時的に存在した臨時駅で、やはり正式な“西船生駅”は画像の位置の新田駅から少しズレた所にあったのではないか?と思うのです。

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というのも、サイクリング時、このあたりに玉石積みで一段高くなっている構造(ピンクのマーカー)があり、自分は当初ここが船生新田駅跡ではないかと思ったもので。。

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こちらが振り返ったところでの撮影。どう考えても古地図が指す船生新田あたりよりもこちらのほうが構造的に駅っぽいような気がしてならなかったのです。

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ともあれ、これをもって答え合わせというわけでもありませんが、最後の頼みは米軍の空撮に(笑)
というわけで昭和23年の航空写真ですが、やはり、地図の船生新田あたりには駅らしき雰囲気はなく、線路の幅や集落の密集度、拓けた様子からどうみてもこちらが“西船生駅”に見えるのですがいかがでしょうか。。

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さて、西船生駅仮定地からほどなくして道はダートに。藪に阻まれ進行困難なうえ私有地と思われるのでやむなく迂回しましたが、復路で立ち寄った“道の駅しおや”の展示資料の中に、この先にあるらしい橋台跡の写真があったのでやや悔やまれる(笑)まぁロードバイクとビンディングシューズではどのみち無理ですが。

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栃木県道77号宇都宮船生高徳線を使って迂回し対岸に来てみましたが、廃線跡は舗装路を左折せずこのまま直進。しかしご覧のとおり写真右手のお宅が所有する山林っぽいのでここを通らずに少し先の田圃の脇のあぜ道を通って廃線跡へのアクセスを試みることに。

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そして、森の中の廃線跡がこちら。ヒエ~!寂しい。
全面ダートなうえ途中に駅などもなくここは無理をしてわざわざ通らなくても良い区間かもしれません。

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ちなみに、この道谷原地区一帯は大幅に区画が変わっていて、ご覧のとおり廃線跡と現在の道路(といってもあぜ道ですが)のグリッドが噛み合わないので下記の迂回ルートを使ってガッツリとスルーしてしまっても特に問題はないと思います。



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そんなワケで、田圃を迂回して対岸らしきところまで来てみました。一応は柵があって立ち入りが制限されているようですが、どのみち少し歩けばすぐに田圃に出てしまうだろうし藪が鬱陶しいのでここでは撮影のみ。

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ではでは、廃線跡サイクリングも残すところここが最後の一直線となりました。歴史遺構を見逃さぬようしっかりと“よそ見運転”を心がけてまいりましょう!(汗)

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…などと冗談を言っているそばから、岩をザックリと割った切り通しに遭遇。ほんの数メートル横にズレていればこんな工事をしなくても通れたように思うのですが、直線的にレールを敷設したい都合や用地の買収など、様々なコストを計算した紆余曲折のうえでこうなったのでしょうねきっと。

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それから途中にはラブホ(というか昭和のモーテル)の廃墟が。ここはネットのどこかの廃墟サイトで見たことがある。そこそこ有名な物件なのかな?日差しが明るいのでそんなに不気味でもない。

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そして廃モーテルの先になぜか道路と並行して走る廃道を発見。錆びたガードパイプらしきものも見える。「もしかしてこっちが本来の廃線跡なのか?」と少し不安になるものの、GPSを見るとそんなハズはない。

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そんなわけで謎の廃道はとりあえず無視して矢板線跡サイクリングに戻るのですが、程なくして左手にまた脇道を発見して覗き込んだら謎が解けた。まだ他にも山中に廃モーテルがあって、どうやらそこへのアクセス路の廃道らしい。こういうのがネットで「ジェイソン伝説」とかを生むんだね(笑)

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さて、暗い森を抜けるとまた県道と交差。最終地点の“高徳駅(たかとく) ”はこの先に続くカーブを超え、あともう少しです。

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というわけで、新高徳駅にゴール。これにて矢板線廃線跡を巡るサイクリングは終了です。長々とお疲れ様でした。

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最後はクルマをデポした矢板市内の長峰公園にて。ここから往路の廃線サイクリングは約30km超(探索でだいぶウロウロしたから)になり、国道・県道を利用した復路が約25kmぐらいだったので凡その全行程は60kmに収まる程度の丁度良い距離ではないでしょうか。勾配も緩く特に苦しい場面もなかったので「坂が大嫌い」という人でもイケると思います。
それから、廃線跡の完全攻略にはマウンテンバイクのほうが良かったかもしれませんが、余程の道路マニアでもない限り、ロードバイクで不明瞭箇所をどんどんスルーして軽快に走るほうが楽しいかと思います。単純に走り抜けるだけなら距離は片道25kmほどなので、ヘタをすると当時のポッポ汽車よりも現代のロードバイクのほうが速かったりして?(笑)

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