無料レンタルサーバー
わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
カテゴリー



最近のコメント



カレンダー

03 | 2019/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -



プロフィール

たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



ブログ内検索



ご注意!!

工作には多くの危険が伴います。薬品や機械・工具の扱い等、安全の確保には常に各自が細心の注意をはらうようお願いいたします。制作者は時折無謀とも暴挙とも思える信じがたい不注意な行動を取ることがあるかもしれませんが危険行為を推奨するものではありません。また、当ブログに掲載されている内容は必ずしも適切であるとは限りません。もし閲覧者が当ブログを参考に行動し何らかの損害を被っても当ブログ(制作者)は一切責任を負いません。必ず自己の判断と責任において行動してください。



Access Count



会津西街道・山王峠 ~神になった男、三島通庸~


山王峠は国道121号の栃木県・福島県境に位置する峠。昭和55年(1980)山王トンネルの開通により“旧道”となり、現在でも地図には表示されているものの実際には“廃道同然”の状態となっている。道路の歴史を遡ると、古くは江戸時代から会津と下野を結ぶ街道として利用されてきたが、明治時代になり国策による“会津三方道路”の一部として大幅な改修が施され、その中心となった人物こそが、かの“鬼県令”または“土木県令”の異名を取る三島通庸(みしまみちつね)であった。今回はそんな歴史ある旧道めぐりと三島通庸の足跡を辿る旅。

cy_snwotg_map.gif

さて、まずはコースの概要ですが、旧道の総距離は約3.8km、平均勾配は約6%といった感じです。今回は栃木県側からスタートし、福島県側で現道に合流し山王トンネルを通って起点まで戻ります。

cy_snwotg_b.jpg

というわけで、GWの余暇を利用してクルマで現地までやってきました。ロケーション的には丁度パーキングと隣接していてクルマを停めてそのまま旧道歩きができとても便利だったりしますが、ご覧のとおりカッチリと塞がれていて「立入禁止」とは書いていないものの、まぁ常識的に考えて、入ってはいけないであろう事が予想できるのですが…Wikiによると車両通行止めとの事なので「徒歩ならセーフだよね?」と(笑)

cy_snwotg_c.jpg

でまぁ、駐車場側から簡単にヒョイと入れてしまったりして「おいおい!チャリは車両だろ?通行禁止だろ?」となるワケですが、「自転車は降りて押して歩けば歩行者の扱い」という事で、今日は“登山杖”として持ち歩く事にしま~す!テヘヘ。
まぁサイクリングという大儀こそ失われますが(自爆)、徒歩のほうが廃道の景色をゆっくり楽しめたり安全だったりしてメリットが多いですからね。ただそうなると「いっそチャリなんかクルマに置いて行けばいいじゃん?」と思うでしょ?でも違うんです。チャリは峠を越えて向こう側に着き、今度は現道を走ってまたクルマまで戻ってくるための“帰りの足”として必要なのです。

cy_snwotg_d.jpg

そんなわけでボチボチ歩き進めるのですが、陽が当たる部分はそれなりに藪化が進んでいるものの、ハイカーによると思われる1本の轍があって難なく歩行可能。

cy_snwotg_e.jpg

そしてようやく藪も落ち着きだいぶ歩くやすくなってきましたが、さすがに国道の廃道だけあって幅員も広いし勾配も緩く、ある種の風格というか余裕が感じられますね。三島通庸が行った明治時代の工事では車道を想定した設計だったというものの、当時だと自動車よりも馬車や荷車がメインかと思われ、もしかするとこれは昭和のモータリゼーション期のアップデートによるものかもしれませんが。

cy_snwotg_f.jpg

…なーんて考え事をしているうちに崩落のデカい穴に遭遇。まぁこれじゃ車両は通行禁止にせざるを得ませんよね。

cy_snwotg_g.jpg

ガードレールはぶらんぶらん。。つい「あのレールの上を綱渡りで対岸まで歩いて渡れたら神」とかガキんちょみたいな事を想像してしまう自分。嗚呼

cy_snwotg_h.jpg

そして次は倒木に遭遇。「へぇ~木の根って土の中でこんなカタチしてるんだ~。」と普段は見る事のない光景を堪能。しかし左手の斜面を見てもこの樹が生えていたであろう陥没跡がどこにも見当たらないので、もっとずっと上のほうから滑り落ちてきたものでしょうか。きっとその瞬間はすごい迫力だったでしょうね。

cy_snwotg_i.jpg

ほどなくして峠に到着。意外と早く着いてしまいましたが、江戸時代の徒歩道がベースという割にはそこそこ穏やかなので、やはり土木県令・三島通庸の道路政策が功を奏しているのか?まぁそれはわかりませんが、史実を調べた限りだとかなりの人員を投入し大規模な工事を行ったようです。

cy_snwotg_j.jpg

さて、峠にはいくつかの標識が残っており、さすがに三角の国道マーク“121”は外されて支柱しか残っていませんが“落石注意”などは現存。そして…問題はこの味のある営林署の看板。これ、自分どっかで見たことがある。知ってる。記憶がある。てか「何でお父さん樹の表情が歌舞伎調なんだよ?」って思ってた。一体どこで見たんだろう?思い出しそうで思い出せないもどかしさ。。ク~ッ!

cy_snwotg_k.jpg

それから、県境なので“福島県”の標識があるのですがひどく擦れていました。現在の青地に白抜き文字の標識と違い、こちらは白地に青文字。

cy_snwotg_l.jpg

そして冒頭の写真にもありましたが、こちらが行き先案内の標識です。白地に青文字の標識は昭和46年(1971)までとのことなのでこれはそれ以前の物でしょうか。良く見ると数字のフォントがシャレてますね。

cy_snwotg_m.jpg

こちらは標語系の看板。破損していますが「危険! 急カーブ多シ 命を大切に」ではないかと想像。“ヨタ”と書く“多”の旧字体の部分が目を引きます。

cy_snwotg_n.jpg

そんなワケで、今一度峠の栃木県側を振り返り、山王峠に別れを告げ、これより福島県側に降下します。

cy_snwotg_o.jpg

で、結果から言うと福島県側はもっと路面がキレイでした。。まだまだ全然イケそうなくらいです。山の北側で日照が少ないからでしょうか?

cy_snwotg_p.jpg

それから、道々ふと右手の景色を眺めて「あ!」と風景の異常に気づいたのですが、あの遠くの山に見える不自然な白いライン。あれはもしや、未完のまま廃道になってしまった幻の観光道路、栃木県道266号中塩原板室那須線、通称「塩那スカイライン」跡ではないでしょうか!?天空廃道!栃木のマチュピチュ!思わず興奮した!いつか走ってみたい!(危険なうえ長大な廃道でガッツリ侵入禁止ですが…)

cy_snwotg_q.jpg

さて、磐石と思われた福島県側の道路状況ですが、道の真ん中にちゃっかり木が育っちゃってたりして、こうなると、ベイビーさんもうダメね。。

cy_snwotg_r.jpg

そして…
コーナーを曲がった先に、
ソイツは現れた。。

なんじゃこりゃ~!の大崩落。
足を滑らせたらそのまま谷底へGO!な地獄のゲレンデ…

ついでに、
なんか先のほうでコゲ茶色した動物が
去ってゆく後姿が見えたんですが…

一気に血の気が引いたYO!(汗)

cy_snwotg_s.jpg

そんなワケで、熊プーの恐怖に怯えつつ、チャリを担いで慎重にクリア(泣)イヤラシイ事に崩落の中心は雨水が流れて侵食され大きな溝になっておりました。

cy_snwotg_t.jpg

それから崩落地のすぐ先には橋が架かっておりここはさっきの野生動物が走っていったあたりで、まだその危機が去ったわけではなく恐怖で心臓バクバクでありながらも、いちいち撮影で立ち止まってしまうワイ。。

cy_snwotg_u.jpg

以降順調に下り続けるのですが、コンクリート擁壁が激しく崩落しているところがあったので撮影。これは石積のカッチリした擁壁ではなく、ボコボコした岩肌にコンクリートを吹き付けたタイプの擁壁なのですが、これって強度的にはあまり意味がないような気がしてきますねこういうの見ちゃうと。

cy_snwotg_v.jpg

そろそろクルマの走る音が聞こえだいぶ現道が近づいてきたようで、「まだ帰りたくないよ~!」とダダこねつつ、道路と心身のスピリチュアルな融合を試みる鱈本の図。。

cy_snwotg_w.jpg

それから現道の少し手前に埋もれた橋を発見。“昭和十五年八月”と書いてあるのが確認できるのみで詳細不明。欄干が地面より10cmぐらいしか露出しておらずそもそも何でこんなに埋もれているのかが謎。

cy_snwotg_x.jpg

さて、ついに現道が見えてきました。というか、何気に4輪の轍が付いているのですがクルマが出入りしているのでしょうか?…とは言っても、道路は途中がアレだったしなぁ…植林もされていない天然林だし。。

cy_snwotg_y.jpg

ともあれ現実世界に無事帰還。ところで左のゲート支柱に“荒海宿”って書いてあるのですが、民宿?…と思ったけど、これ“やど”じゃなくて宿場町を表す“じゅく”のようです。まぁそれはいいとして、あとはチャリに跨り現道の“山王バイパス”を通ってクルマに戻るとしましょう。

cy_snwotg_z.jpg

ついでに、こちらが“山王トンネル”。災害時避難通路のみで歩道がないタイプのトンネルなのでクルマからの追突に怯えるサイクリングでした。それから、国道標識がオニギリ三兄弟状態ですが3つの国道が重複する区間というのもなかなか珍しい光景ではないでしょうか。
そんなわけで、サイクリングはこれにて終了しこれからクルマを走らせ三島通庸ゆかりの地“那須塩原市三島”へ向いその足跡を辿ってみようと思いますが、その前に山王峠の資料を少々。

cy_snwotg_1.jpg

こちらは明治時代の山王峠の写真が残っているので転載してみました。この、そこいらの木を切ってテキトーに組んだっぽいワイルドな足場とアーチがイマイチ謎ですが、それを差し引いて見た場合「ああ、なるほど、面影があるねぇ。」と自分は思ったり。

cy_snwotg_2.jpg

そして、現在の写真がこちらなのですが、比較すると峠を過ぎてすぐにクイッと道が左に曲がる感じが、けっこう雰囲気が残ってるかなぁと。。

cy_snwotg_3.jpg

てなわけで、やってきましたここが三島通庸公を祀った三島神社です。立地的には西那須野になるのですが、この左手に三島通庸の邸宅跡があり、現在はここが三島5丁目ですが区画変更以前は1丁目だったとのこと。

cy_snwotg_4.jpg

大きくはない神社ですがちゃんと本殿もあり、三島通庸ほか、子孫の肖像画が掲げられています。爵位を持つ華族なので我々庶民の想像も及ばないような人物ばかりですが、ここらで、三島通庸について少しまとめてみるとしましょうか。

cy_snwotg_5.jpg

三島通庸は薩摩国(現・鹿児島市上之園)出身の明治新政府の官僚で、明治5年(1872)に山形県令(現代で言うところの知事)となり、明治15年から福島県令、16年から栃木県令を兼任し、それらの地方を東京と繋ぐ交通網の構築に尽力しました。それが有名な“会津三方道路”で、今回の山王峠は“会津西街道”の中の一部です。
そしてその“会津三方道路”ですが、なぜそこが道路政策の中心なのかといえば会津は旧勢力(幕府)の縁の地であり、また北方からはロシアの脅威がチラつく情勢、そして吹き荒れる自由民権運動と、明治新政府にとっては問題だらけでどうしても攻略しておきたかった事情もあったようです。
そういった事から、敵対する勢力は冷酷且つ徹底的に容赦なく弾圧し、また政策は独断的且つ強引。庶民を徴用し無報酬で酷使したり、富裕層からは寄付の名目で大金を徴収したりと、まさに“鬼”の所業であったようです。そんな鬼県令の通庸公ですから世間の評判はすこぶる悪く、ときには暗殺されそうになったりと波乱万丈にもほどがある有様でした…。
さて、では当時の道路工事がどんなものだったのかというと、明治17年1月7日に開削を開始し塩原村古町(現・那須塩原市塩原)から福島県境の山王峠までの区間では24万3402人にものぼる人員が投入され、そのなかには16歳未満の男女や囚人も含まれていたそうです。ちなみに工事完了は同年10月20日という驚異的なスピードで行われ、通庸公自ら現場に立って指揮をとり、土木技術に関しても卓越した知識を有していたようで特にダイナマイトの使い方に長け、どこから調達したものか当時としては優れた機材(外国製)を使用して非常に効率的だったそうです。また、山王峠の建設時に面白いエピソードが残っていて、工事を急ぐあまり囚人まで動員していた記録があるのですが「もっと腕っぷしの強いヤツを連れて来い」とは通庸公のリクエストだったとか。。
それから報酬の件について、明治新政府は財政難であったため工事は主に寄付と勤労奉仕(無償)で行われ、作業終了時には酒と餅が振舞われて解散という流れだそうですが、地元では「実際には賃金も支払われた」との話も。
ともあれ、世間一般では圧政を強いたディストピアのイメージが強い三島通庸ですが、地元においては振興と発展によって多大な恩恵を受けた方も多く、また通庸公自身もこの地を愛し、鬼の形相の裏では心の奥で密かにユートピアを想い描いていたのかもしれません。そして…鬼は神となった…。

cy_snwotg_6.jpg

さて、明治時代を駆け抜けた三島通庸ですが、同時に開拓者としての顔も持ち、明治13年(1880)ここ那須野が原に“肇耕社”を設立し開墾・植林・牧畜といった開拓事業を展開したそうで、写真は屋敷のあった敷地内の様子ですが、建物があったところまでしばらく歩かなくてはならないほど広大。ちなみに現在はボーイスカウト日本連盟の那須野営地として管理され遺構としては池が残っているのみで、当時三島通庸が行った政策である那須疏水(第三分水)を引き込み明治時代の当時は水力発電により屋敷はすでに電化されていたというから驚き。また、ボーイスカウトは通庸の孫にあたる三島通陽(みちはる)氏によって日本に広められたという経緯があるそうです。
ところでなぜこんなところに部外者の自分が入り込んでいるのか?大丈夫なのか?というと、実は三島神社の宮司さんが案内してくださいました。
当初は神社に少し立ち寄る程度の予定でしたが、自分が三島通庸に興味がある旨を伝えたら社務所に招いていただき、いろいろとお話を聞いたり、資料を見せていただいたり、気がつくとほぼ一日長居をしてしまい、申し訳ないので「せめて何かお手伝いをさせてください」と草むしりを買って出たりしましたがそれしきでは感謝しきれないくらい大変お世話になりまくってしまいました。。宮司様、どうもありがとうございました。また近くに来たときには立ち寄ってお参りさせていただきます。

最後に、三島神社は三島通庸を祀った神社ですので

“道路の神様”です!

サイクリストの皆様におかれましては、もし近くを通ることがあれば是非ご参拝いただきますよう、よろしくお願い申し上げます!

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://wasura.blog86.fc2.com/tb.php/1186-4fdbb602