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わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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【パスハント】“羽鶴峠”


羽鶴峠は昭和36年(1961)に認定された栃木県道202号仙波鍋山線にある峠。周辺は石灰の採掘が盛んに行われご覧のとおり“東映の戦隊物”の特撮にでも使えそうな荒れ果てた風景となっており、また時代の変化にともなう道路の変遷も興味深い“悲しき峠道”。

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そんなわけでさっそくパスハンのスタート。栃木市鍋山町の鉱山群を過ぎたあたりにある小さな羽鶴橋が目印。ここを左折。

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そして道路の状況はというと、狭くて、曲がりくねっていて、急勾配で、悪天候時に通行止めとなる等、もはや“林道レベル”の道路です。しかし、こんなのでも(と言っては失礼ですが)県道なんですよねぇ。

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で、早速12%の洗礼(笑)一般道の場合は勾配が12%以下になるように設計されるそうですが、いきなりギリです。

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ともあれそんな調子でギシギシ登ってゆくと左手に現れる鉱山郡の眺望。ハゲた山肌とホコリにまみれた建物が織り成すまさに灰色の世界。

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そしてほどなく現れる峠手前の急勾配。何の臆面もなく18%表示。これは一般道としての設計的にはすでに、アウト~!(笑)

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ちなみに、写真正面の“落石注意”の標識が垂直の目安になる(と思う)ので、18%の坂道がどういう感じなのか参考までに横から撮影してみました。

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そして、ここを通るクルマはエンジンが唸りを上げ、チャリの人はもれなくストイックな筋トレに勤しむことになります(笑)ついでに今自分が写真を撮っている左手には“立木地蔵尊”(後述)があるのでぜひインターバルにご利用ください。

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さて、立木地蔵尊の脇を過ぎてほどなく現れるここが羽鶴峠。向こう側の葛生町(佐野市)は道路状況が劇的に改善されているようです。そして、右手には気になる構造体が!これは旧道跡っぽいですね!

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…と思って右手の景色を眺めるのですが、旧道の姿どころか、もはや堀りも掘り尽くしたり…山は完全に木っ端微塵に消滅しているのを通り越して更地に。。



そんなわけで、平成11年(1999)の地図(マウスーオーバーで切替)を見ると、道は現在と全然違う形しており「え!?じゃあこの道は付け替え県道だったの!?」と衝撃。。そして、峠のシンボルである文化財“立木地蔵尊”も当然「ぜんぜん違う位置にあるじゃねーか!なんてこった!」と悶絶。。

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まぁ、ここは筋トレ目的で過去に何度も通っている道なのですが、改めて調べてみると色々とワケアリなようで「このお堂はやけに新しいなぁ」と思っていた謎が解けた感じです。。鉱山開発の都合で県道はおろか文化財まで移動させられていたとは。。

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まぁ、案内板をよく見たら「平成10年4月24日に日鉄鉱業(株)葛生工業所内から現在の場所に移された」旨が明記されていて最初からきちんと読んでおけば衝撃も多少やわらいだとは思うのですが。。それと、お堂の右脇にある石仏に関しては首モゲなので明治維新の廃仏毀釈以前からあったものと推測。

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そしてお堂の左脇にある碑文には最初に羽鶴峠を開削した年代が明記されていて「大正4年11月10日」との事。まぁ明治時代の地図にはすでに“荷車の通せざる道”の記載があるので大正時代の開削工事は拡幅や勾配を緩める等のアップデートだったのかもしれませんが。

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そんなわけでまぁ色々ありましたが、葛生町側に降りてきたところを振り返って撮影。こちらは勾配も幅員も余裕がありちゃんと県道っぽい。

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そしてこちらが周囲一帯の所有者と思われる日鉄鉱業。栃木市側の鍋山とはまた違う雰囲気。業界大手のようで設備もかなり大規模です。この建物は高低差を利用して石灰を精製していたりするのでしょうか?

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ちなみにこちらは降りる途中で振り返って撮影した日鉄鉱業の入口の風景ですが、葛生町から上ってきて道路をそのまま直進すると自動的に日鉄鉱山に入ってしまう構造で、むしろ県道がオマケみたいに脇を迂回しているのが面白い。この道路に関する“力関係”みたいなものが読み取れるような気が…

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それから、日鉄鉱業は明治32年(1899)から続く歴史のある大企業なので、やはりというか、採掘した石灰を運搬する専用の引込み線も持っていたようです。

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正式名称は“日鉄鉱業羽鶴専用鐵道”で、事業所から東武佐野線葛生駅まで接続しており昭和61年(1986)に廃線との事。2018年現在は廃線から32年経っているのですが、レールこそ撤去されているものの、まだ生々しいですね。
というわけで、一見古そうに見えて実は平成生まれの代替路だったという悲しき羽鶴峠はいかがでしたでしょうか?

え?別に悲しくない?

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じゃあそれなら最後に、道中にある“道半ばで倒れた親子の悲哀を伝える追悼碑”…のハズなのにどうみても廃墟同然の扱いを受けていてもはや発見すらままならぬ史跡“親抱きの松”の写真を掲載してお開き。合掌。

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