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わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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【鉄ちゃん企画】鍋山人車鉄道(前編)


栃木市の山間部では古くから石灰岩を産出し江戸時代には巴波川を船で下り江戸まで輸送していたという。そして明治時代に入ると鉄道による輸送が発達し明治33年(1900)“鍋山人車鉄道”が開通。その後昭和35年(1960)にかけての60年間、両毛線栃木駅と同市鍋山町を結ぶ約16kmの区間で石灰の運搬や旅客運転を行った。当初は人力での運転を開始し、中期には栃木市内を通る路線を郊外ルートへ変更、後期にはガソリンエンジンを搭載した汽動車へと変更になり、長きに渡り活躍した路線ではあるもののモータリゼーションの波に飲まれあえなく終焉。現在では往時を偲べるようなものもなく、ただ道路として転用された線形のみが地図上で確認できるに留まっている。そんな廃線跡を辿ってみるサイクリング。

Zusou_Jinsha-tetsudo.jpg

さて、サイクリングの前にまず人車鉄道がどんなものであったのか、肝心の鍋山の写真が調達できなかったのでWikiの人車軌道から画像を借りて掲載してみました。
このような車両を“押し手”が人力で押して走るものでまるでカートですが、とにかく低コストで建設・運営できるのが特長だったようです。ちなみに速度は人が歩行する速度やせいぜいママチャリ程度だったのでは。。おおらかですよね。



というわけで閑話休題。まず昭和9年と現在の地図をマウスカーソルオーバーで切替表示してみたのが上図です。市内を出るまでのルートに年代での違いがあり、開業当初の路線がブルーのマーカー、そしてピンクが後期を示しており、ご覧のとおり前期のルートは現在も道路としてしっかり残っていて容易に辿れるのがうれしい限り。そんなワケでまずは明治33年(1900)の開業時のルートを辿ってみたいと思います。ちなみに後期の路線ももちろん探索してきましたので(笑)歴史調査も含め後編にておおくりします。

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それでは早速、起点はJR両毛線栃木駅の北口を東向きにスタート。

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ほどなく、スタート地点から最初の信号を左折したこのあたりが地図上での河合町となり“河合町部屋街道駅”は前方の交差点の先にあったのではないかと思われます。

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河合町を直進するとほどなく大通りに合流し、しばらく進んでスタバ(写真左手の濃茶色の建物)の脇を左折。

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大通りから一本入った通りはイイ感じの古い商店街となるのですが、たぶんこのあたりに“問屋街駅”が敷設されていたのではないかと想像。

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そして商店街を出てすぐのところにある巴波川河岸。ちょうど風物詩となっている“うずま川こいのぼり”の期間で多くの観光客で賑わっていました。

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それから、巴波川の橋を渡ったところの交差点がワケわからん形になっていますが正解は右折…なのですが途中で道が消失して通行できないので右寄りの真ん中の道をチョイス。当時と形が違っているのでやむなし。ちなみにこのコースの当時の軌跡を辿れない残念ポイントはここぐらいかと思います。

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迂回路はすぐに右折して速やかに本線に復帰。

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そしていよいよここからが平坦一直線の廃線跡キター!です。ちなみにこの場所の右手には栃木高校があり運動部の威勢の良い掛け声がここまで聞こえてくるのですが“栃高西駅”もおおよそこのあたりだったのではないかと想像。

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栃高の脇からしばらく北上し、途中で県道309号環状線を越えたここからは県道32号の旧道で通称はズバリ鍋山街道。このまま直進。

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そして道路は途中で大きく右手にカーブし、それを過ぎたこのあたりが“野中駅”の予想地点です。写真だとクルマが渋滞していますが、その先はもう県道32号の現道に接続する交差点で、思いのほか交通量があるようです。
ちなみに地図上では昭和8年(1933)の後期鍋山軌道ルートがすぐ左脇に来ているハズですが残念ながら見当たりません。

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ともあれ、現県道32号(通称:栃木インター通り)に接続。ここからしばらくは道沿いにひたすた北上するだけの退屈なサイクリングだったりしますので「いま走っているこの道路の下が線路だったのだ!」などと想像力を働かせて楽しむなり、車道をイッキにかっ飛ばしてさっさと次のポイントに向うなりするしかありません。
ちなみに、県道沿いには“吹上町駅”の仮定地があるはずなのですが見つけるすべもなく通り過ぎてしまいましたので写真は無し。明治40年の地図を見る限りだと駅は当の吹上町あたりではなく、現在の仲方町のあたりのような気がします(違うかもしれませんが)。

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さて、クルマがビュンビュン通る脇を追い立てられるように進むインター通りサイクリングにウンザリしてきた頃ですがそれもこのあたりで解消。おまちかね、左手が順路です。

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そしてまたもや長閑な一直線キタコレ。ここも県道32号の旧道にあたるのでここからしばらくはクルマの通りは比較的少なく、のんびり走れます。

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しばらく進み国道293号の丁字路に。そして左手の橋が尻内橋。この橋を渡ってすぐに右折するのが正しいルートなのですが、ふと「鉄道ってこんなに直角クランクに曲がれないだろ?」と思い調べてみたのですがどうやら道路の橋梁以外にもう一本鉄道用の橋が架かっていたようで“尻内駅”も対岸の袂あたりに付随したようです。

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尻内橋を過ぎ、またしばらく穏やかな一直線サイクリング。山もだんだんと近くなってきました。それから、写真左脇の草木の生えた部分にいくつもコンクリート柱があり、もしかして鉄道由来の何かの遺構だったりしたら嬉しいな…とか思いながら脇を通ったのですが、気にし過ぎかな。。

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そしていよいよ左に進路を取り鍋山町へ。ちなみに今回はスルーしますが画面奥の交差点脇にあるのが“秋葉城跡”の石碑だそうです。

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しばらく道なりに進みようやくこのあたりから本格的な採掘ゾーンに突入。あちこちが掘り起こされ山肌はハゲまくり。そして道路はホコリだらけ(汗)この日は日曜にもかかわらず採石場は稼働中。時折ダンプカーがホコリを巻き上げながら通るのはやや閉口。。

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そんなわけで、石灰採掘所の巨大な構造体を眺めながらのサイクリング。“工場萌え”な人なら「これは○○という設備だ!」とか興奮するのはもちろん、多くの方は普段の生活ではなかなかこうした巨大スケールのメカを見る事もないと思うので案外楽しめるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。

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これなんかはネズミーSEAの垂直落下の何とかタワーとかいうアトラクションを連想(笑)

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コチラはまさに縦横無尽のコンベア地獄。そしてホコリとサビ色の世界。
ちなみに自分は子供の頃、父の運転する車で出流山・満願寺の初詣に向う途中にこの鉱山群を目にしたのですが「スゲー!カッコイイー!」と大興奮だったのを憶えています。まぁ小学生ぐらいの男の子の感覚だからそんなもんかと思いますが、実は40代になった今も「う~ん!イイね!」とかロクに成長していない(汗)

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採石会社はいくつかあるのですが、どの会社の設備にも共通しているのがこのロケットみたいなトンガリタンク。自分は詳しくないのでよくわかりませんが、精製した石灰がこのタンクに溜まり、下の車庫みたいなところにダンプの尻を突っ込むと上から石灰がドザー!みたいな感じ?

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それからこちらは岩肌と配管、煙突などがやはりテーマパークのマウンテンコースター的なものを連想させます。お子様に「テーマパークに連れてったるよ!」とか言ってココに連れてきてトラウマ…とか?(汗)

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といったわけで、ひとしきり鉱山群の景色を楽しんだところで鍋山人車鉄道跡もこのあたりでお開き。どこが終点の“鍋山駅”だったのか正確にはわかりませんが、このあたりがやけに広いのでもしかするとそうなのかな?といったところ。それから左手の山肌にかなり無茶な勾配の道路が見えますが(笑)あれが“羽鶴峠”です。一応今回のサイクリングで走行取材をしましたが尺の都合でレポートはいずれまた。
ちなみに、羽鶴峠をスルーしてこのまま直進すると出流山・満願寺があるのでお参りをしたり、手前の門前町で名物の出流蕎麦を食べたりと、鍋山軌道跡を巡るサイクリングはレジャーとしてもなかなか優れているのではないかと思いますがいかがでしょうか。

長くなりましたが最後にコースのGPXデータを掲載いたしますので、興味のある方はぜひGPSなどに転送してご活用くださいませ。


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