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Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。
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ご注意!!
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工作には多くの危険が伴います。薬品や機械・工具の扱い等、安全の確保には常に各自が細心の注意をはらうようお願いいたします。制作者は時折無謀とも暴挙とも思える信じがたい不注意な行動を取ることがあるかもしれませんが危険行為を推奨するものではありません。また、当ブログに掲載されている内容は必ずしも適切であるとは限りません。もし閲覧者が当ブログを参考に行動し何らかの損害を被っても当ブログ(制作者)は一切責任を負いません。必ず自己の判断と責任において行動してください。
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【鉄ちゃん企画】東武宇都宮線巡り(後編) |

前回に引き続きまして東武宇都宮線関連のサイクリング。今回は宇都宮市西川田駅以南の壬生町・栃木市区間にある興味深い物件を辿ってみます。

さて、宇都宮を出て隣の壬生町には、安塚・おもちゃのまち・国谷・壬生の4駅があるのですが、まずはネーミングが面白い“おもちゃのまち駅”から。由来はこの地区が玩具製造会社が集まる工業団地である事からなのですが、最盛期は昭和50年代あたりで、現在は街の様子もだいぶ様変わりしているようです。 ちなみに、自分は幼少の頃の最盛期のおもちゃのまち駅をおぼろげに覚えているのですが、当時はこの場所に怪獣やら戦闘機やらのオブジェが設置されていてまるで遊園地を思わせる楽しげな雰囲気だったと記憶しております。もしその頃の写真があればぜひ一度皆様にも見ていただきたいと思うのですが、残念ながら頼りの綱である壬生町史に記載はありませんでした。(※もしかするとバンダイミュージアムや国谷のおもちゃ博物館などの資料館で見られるかもしれませんが…)

しかし現在でも駅の一角に機関車が展示されており遊び心を残しているあたりがうれしい。この静態保存のSLはトミーと東武鉄道、工業団地組合のコラボによるものだそうです。

ちなみに、おもちゃ団地は東京都にあった現・タカラトミーの創業者富山栄市郎氏が移転先として壬生町を選んだのが発端で、昭和40年(1965)のおもちゃ団地操業にあわせて、このおもちゃのまち駅が開設されたようです。(写真は壬生町史より)

東口駅前通りを直進するとほどなくおもちゃ団地になるのですが、現在は玩具製造以外の他業種が多く、目に付くのはタカラトミーのグループ企業社屋とバンダイミュージアムあたりでしょうか。

さて、おもちゃのまち駅を跡にしまして次は“国谷駅”に来てみました。ここは“おもちゃ博物館”以外には特に何もないので省略しようかと思ったのですが、歴史を深く掘り下げると太平洋戦争時に“壬生飛行場”があったので、その遺構探しに少し寄ってみた次第。

そんなわけで、これが壬生町史に掲載されている昭和20年(1945)の壬生飛行場の区画図です。昭和の頃までは多くの遺構が残っていたようなのですが、現在はマーカーの位置に堀の一部が残っているようなので行ってみましょう。

…とはいうものの、取り立てて面白いというほどでもなく戦跡マニア向けかもしれませんが。。それから、残っているのはこの一部だけであとは真新しい道路になってしまっているようです。残念。

さて、次は本命(笑)の壬生駅登場です。実は壬生町を挟む2河川“黒川”と“思川”ではかつて河川の砂利を採石しており、その引き込み線が存在していたようなのでいよいよここから廃線探索サイクリングの開始です!

そんなワケでまず地形の確認ですが、産業用の引込線のせいか当時の地図には載っていないのでやむなく国土地理院の空撮を漁ることに。おそらくマーカーの部分が“小倉川砂利線”かと。黒川側の砂利線は壬生駅に直結していて、思川側の砂利線は少し離れた所にあったようです。

ともあれまずは黒川側の砂利線の痕跡を探しに東口に回ってみたのですが…
完・全・に・住・宅・街!(汗)
残念ながら区画自体が変わってしまっていて跡形もナッシンです。

もしかして…との思いから、なるべくGPSの座標が指す廃線跡をトレースするように住宅街を網の目に進んでまいりましたが、河川敷まで出ちゃいました(汗)廃線跡は…完膚なきまでに消失です。。嗚呼

気を取り直し今度は思川の砂利線跡と思われる分岐地点近くまで来てみましたが、残念ながらコチラも全く別物の宅地に変更されていて、なるべく線路跡に近い路地を選んで網の目に進むしかないのですが、住宅街を抜けると…

廃線跡キィータァーーッ!!
この部分、見るからに線路っぽいですよね!平坦一直線がイイ!

途中で栃木県道2号宇都宮栃木線にぶった切られますが、道はそのまま延びて思川沿いにある壬生クリーンセンター(下水処理場?)に突き当たって終了。

それから、実はもう一本、思川に“東武柳原線”という砂利の引込線がありまして、場所は川を渡った栃木市の野州大塚駅手前のあたりなので行ってみましょう。

その前に一応、野州大塚駅をご紹介するのがスジですよね(笑)でも、ちんまりしていてこれといった特徴もないというか…東武宇都宮線で唯一の早朝・夜間無人駅というマイナス要素しか出てこないというか…別にディスってるワケじゃないですよ?(汗)

ともあれ、野州大塚駅から踵を返しまた壬生方面に足を向けやってきたこのあたりが、砂利線の分岐路と思われます。このあたりには平成元年(1989)まで柳原信号場(レール分岐施設?)があったようで、もしかして線路脇のやけに広い用地と奥の小さな建造物がそれなのでしょうか。

今度は線路を渡って反対側まで来てみたのですが、よくみると線路脇に土地の境界杭が打ってあるので、多分ここが分岐とみて正解と思います。

そして、回れ右して廃線跡をトレースしたいところですが…現在はソーラー発電所になっていて残念ながら辿れません。しかたがないので近隣の道路を迂回して向こう側まで行ってみましょう。

さて、早速ソーラー発電所の北側に来てみたのですが、やっぱりありますね!道を挟んで両側に古そうなゲートが。

そして中を覗いてみたのがこの写真。社有地の中ですがなぜか舗装路とガードレールがある不思議な風景。多分これが廃線跡でしょう。
…てか、よく見るとゲート脇の手すりがレールだし!(笑)
ちなみに写真だと分かりづらいですが奥のほうでさらにゲートがあり道は閉塞しているようです。まぁどのみち立ち入れないので調べようもありませんが。

それから近隣をウロウロしていて見つけたボロボロに朽ちた看板には“思川砂利KK”という記載がありここが東武柳原線で確定ですね。

今度は河原に回って保橋からの眺め。たぶん廃線跡の続きは左手のフラットな部分あたりに出てくるのではないかなぁ。

というわけで、最後は特にネタがあるわけではないけど、東武宇都宮線基点の“新栃木駅”まで来てみました。これにて今回の“鉄ちゃん企画”は完了ですがいかがでしたでしょうか。ちなみに、東武宇都宮線の路線距離は24.3kmだそうですが、なるべく線路沿いの道路を選ぶ最短距離サイクリングだと約30kmで、前編・後編の寄り道を全て含めると総距離は60kmぐらいになるようです(取材は2回に分けて走っています)。全行程が舗装路ですのでロードバイク向きのコースかと。それからスマホやGPSに予めコースを入力しておいたほうが迷わずスムーズかと思います。
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