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わすら雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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【鉄ちゃん企画】東武宇都宮線巡り(前編)


これまたサイクリングとは遠そうなネタを持って来て恐縮ですが(笑)普段どおり歴史ネタ探しで昭和初期の地図を見ていてふと、東武宇都宮線に現在は存在しない謎の駅がある事に気づき、面白そうなのでその座標にチャリで来てみたのがコトの発端なのですが…



そんなワケで早速、新旧の地図をご覧いただけますでしょうか(マウスカーソルオーバーで新旧切替)。
現在は東武宇都宮駅の次は南宇都宮駅になるわけですが、昭和8年の地図だと南宇都宮駅はなく、途中に「はなぶさちょう駅」という謎の駅が存在しています。そしてとりあえずwikiで調べてみたのですが、一部引用しますと、
花房町駅:1931年8月11日に東武宇都宮線が開通。翌1932年4月1日、西川田駅と東武宇都宮駅間に開業した。その後、太平洋戦争戦局悪化に伴い不要不急駅として1944年6月30日に休止となり、1954年9月24日にそのまま廃止となった。南宇都宮駅は1932年4月17日に(臨)野球場前駅として開業。1933年12月15日に常設駅となり、南宇都宮駅に改称。江曽島駅は1944年7月1日開業。
…との事で、なるほど地図には南宇都宮駅のあたりに野球場の記載があり(現在球場は存在せず)興味深いです。

cy_tobhnbsc_d.jpg

ともあれ、その花房町駅の跡地と思われる場所の現地調査に話を戻しますが、一応友人の“鉄ちゃん(設備鉄)”I君にこの件を問い合わせたら「ああ、このコンクリート柵は東武線脇のやつだよね。この三角地が駅だったのかな?」との事で、やはりここが跡地である可能性が濃厚のようです。

cy_tobhnbsc_g.jpg

といったワケで、宇都宮市史などを調べたのですが現JR宇都宮駅などと比べ私鉄であるせいか記事の扱いが小さく、結局wikiと同程度の内容しか拾えず、写真に至っては辛うじてこの東武宇都宮駅が記載されていたのみで残念ながら花房町駅はまぼろしのままです。嗚呼、見てみたい。。



しかし、それでは悔しいので国土地理院の航空写真を漁ってみるのですが(マウスカーソルオンで新旧切替)、昭和22年の空撮には駅舎とホームらしきものが辛うじて写っているようです。ともあれモヤモヤですがこれで一応は駅があった事は確認できたので現状良しとしておきましょう(汗)ちなみに、昭和22年の写真は米軍による空撮で、やはりこれはわが国が敗戦国という事情からなのでしょうか?…

cy_toboyakd_a.jpg

さて、次の探索サイクリングは西川田駅に移動。運動公園のある東口は賑やかですが西口はご覧の通りの殺風景。でもここはかつて昭和6年(1931年)から昭和39年(1964年)にかけて大谷町から採掘した大谷石を運ぶ石材運搬路線“東武鉄道荒針線(大谷線)”が接続しており、その廃線跡を巡るサイクリングはこの西口からのスタートとなります。



ともあれまずは周辺地図からご覧いただきたいのですが(マウスカーソルオンで新旧の切替)、概ね地形には大きな変化もなく、現在は素直にそのまま道路に転用されている感じで、案外気楽に走れそうです。

cy_toboyakd_d.jpg

というわけで早速サイクリングをスタートしますが、駅周辺は民家に囲まれているので厳密には駅から一本北側の踏切脇が基点になります。ここは現在ご覧の通りの生活道路になっていて特に目に付くものもないのでこのまま進みます。

cy_toboyakd_e.jpg

しばらくすると左にカーブして広い道路に合流。そしてその先は県道2号宇都宮栃木線(通称:栃木街道)と交差。実は自分、ここがまだこんな広い道路になっていない頃の景色を少し覚えているような。。たぶん80年代の後半の事かと思うのですが。

cy_toboyakd_f.jpg

しばらく進んで県道3号(通称:宮環)にぶつかる丁字路の手前に遺構発見!鉄橋の一部でしょうか?思わず興奮した(笑)その様子を隣の民家の父子から不審な目で見られる(汗)

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鉄橋跡を右手に曲がり、廃線跡と重複する県道3号宮環をしばらく北上するのですが、左手にあるハズの廃線跡は残念ながらここで断絶。。あの奥に続きが…
ちなみに“東武鉄道荒針線(大谷線)跡”はこの部分を除き全線が一般の舗装道路に転用されているのでほぼすべてをロードバイクでサイクリングすることが可能です!スゴイ!…というほどでもないかな?(笑)

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近隣の住宅街を迂回して断絶部分の対岸に到達。あとはここを回れ右して真っ直ぐ北上します。

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と思ったらすぐに県道6号宇都宮楡木線(通称:インター通り)にぶった切られる(汗)ここは渡れないので近くの横断歩道に迂回。

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あとはしばらく緩やかな直線を北上します。もう線路跡だとは全然気づかない普通の生活道路っぽいですね。ただ、鉄道ってクルマよりも小回りが効かないし坂道も登らないので、鉄道由来の道路は“直線的で平坦”な傾向になるようです。そこらへんを意識して景色を眺めるとサイクリングの気分もアップするかもしれません。それと、走っていてラク(笑)人馬レベルの古道や廃道とは大違い。

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そしていよいよ、いかにも鉄道跡っぽい細い道路出現!

自動車閉鎖区間キターーーー!

cy_toboyakd_m.jpg

さっそく中に入ってみたところがコチラ。もうコレどう見ても鉄道跡の雰囲気プンプン!ちょっと真ん中が盛り上がっているところなんかが最高です!
でもまぁ、自分はすでに知っていたのですけどねここ。実は母方の祖父母の家が大谷にあるので子供の頃に両親の運転するクルマから見ていまして。その記憶がしっかり残っていたり。

cy_toboyakd_n.jpg

ややっ!?路傍に標石を発見!モロに“東武”って刻まれてますね!もしかするとここはまだ東武の私有地で近隣サービスの一環で徒歩のみ開放してるのかも?

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北側のゲートから先もまだ線路(跡)は続くよどこまでも!(笑)ちなみにここから先は“明保通り”と呼ばれています。

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この2本の道路が並走しワイヤー張りの遮蔽物で区切られている雰囲気が特殊ですよね。そして驚くほど平坦一直線!このまま北上を続けます。

cy_toboyakd_r.jpg

東北道のガードをくぐり、大きく左にカーブしてからほどなくして右手の栃木県道70号宇都宮今市線に合流。このまま県道沿いに鹿沼方面に向って進むと終点の“荒針”となります。

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しかし!…線路(跡)は続くよどこまでも!(笑)

まぁこの分岐から先は旅客運転ではない石材専用の支線(軌道?)なので今回の探索では深く掘り下げませんが、こんな感じの細い道が採石場近くまで続きます。まぁちょっとだけ入ってみましょうか。

cy_toboyakd_u.jpg

やはりここにもありましたよ東武由来の遺構。パッと見は普通の歩道に見えてしまいますが私有地を開放しているのでしょうか。

cy_toboyakd_s.jpg

というわけで本線に戻りまして、この広い場所がかつての荒針駅と思われるあたりです。まぁご覧の通り何も残っちゃいません。しかし自分にとっては幼少の頃からよく知っている土地だというバイアスのせいで結構楽しかったのですが、ここまで読んでくださった皆様がシラケていないか心配です(汗)
ともあれ、東武宇都宮線とその遺構を辿る鉄ちゃんサイクリングの前編はこれにて終了。後編は西川田駅以南から新栃木駅までの区間を辿るサイクリングの予定です。

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