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わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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明治新道「林道 竹内羽仏線」(前編)


時間が出来ると地図を眺めるのが習慣になっているのですが、宇都宮から北東の那須烏山市に向う途中に、明治時代の地図と現代の地図との比較でやや気になる道形があり、当初はさしたる期待もなく来てみた林道でしたがそこには思わぬ歴史の遺物があり、その考証なども含めるといつものサイクリングレポートだけでは尺が足りずかなりの長文になってしまいそうなので今回は前編・後編に分けてレポートしたいと思います。



まずは、明治39年と現在の地図をマウスオーバーで切替えてご覧いただくと分かりやすいかと思うのですが、200m級低山連峰の中央に走る道路が今回のそれで、明治時代では“県道”として扱われているものの、現在ではほぼ同じ形のまま“林道”にまで身を落としており、一体どうなっているのか走ってみたくなり現地まで赴いた次第。

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そんなわけで、栃木県市貝町の県道64号沿いにポッカリと開いた穴(笑)もとい、忘れられた明治県道であり現・林道“竹内羽仏線”の入口まで来てみました。だいぶ緑がこんもりしているのでクルマだと一瞬でスパッ!と通り過ぎてしまいそうです。

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さて、立ち入ってすぐ目につくのはこの道の開通碑。苔が蒸し下部が埋もれているうえ全て漢文なのでこの道の全貌まではわかりませんが、現地で判読できる部分に“明治”という文字が読み取れ「明治!やっぱりそうなんだ!やったぜ!」と驚くとともに、実は帰宅後に写真を精査したらこの碑文が非常に興味深く(詳細は後編にて)、これがなかったら“単なるつまらない林道”で終っていたかもしれません。

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それからここは通行者への注意書きがワリと親切で、ゲートや警告など通行禁止措置が取られていないフレンドリーな林道なので後ろめたい気持ちはなく大手を振って通行できるのがうれしい。いや、やっぱり小心な自分は近隣や通行人の目がどうしても気になってしまいますが。。

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そしてこちらは地すべり注意の案内ですが酷くボロボロ。地図を年代ごとに追ってゆくとこの道路はもともと明治時代の県道でありながら昭和の中頃にはすでに地図から消滅し、平成に入ってから地図上に復活した経緯なので、その間に林道としてリニューアルされているとすればそんなに古くないハズなのですが。。

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ともあれ、そろそろ突入の時がやってきたので探索スタート!雰囲気的には明治県道というよりは“普通のダート林道”という感じでガードレールもしっかり敷設されていて案外整備が行き届いているようです。ちなみに今回探索する行程の約半分を占めるこのダート区間の距離は約2km/平均勾配5%で、この区間は終始登りとなります。

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概ね暗くてジメジメの森の中ですが、時折明るい場所に出ると「ちょっと季節を間違えたかなぁ…」と軽く後悔する草ボーボー状態。

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この写真では切り通しの風景がイイ感じですが、たぶんこれは明治時代の面影ではなく近年の林道リニューアル工事後のものではないかと。。法面は全て安っぽいコンクリートブロックの擁壁で明治道路の痕跡はほとんど残っていない気がします。ただ、地図上に走る道の形自体はほぼ変わっていないようなのでカーブの角度とか勾配などに明治時代のロマンを求める妄想力が必要かと(汗)

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ここはどうやら民有林らしいので、道から外れてウロウロしていると怒られちゃいそうです。まぁ誰もいない暗い森の中ですから大丈夫でしょうけどね。

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道中の沢の流れ込みなんかも注意深く観察するのですが、やっぱりどうやっても現代の林道工事の跡で明治時代の歴史ロマンは感じられず残念。そもそもこの街道には当時から人家がなく単なる直線的なショートカット目的で開削された道路のようで、もともと構造物といったものは無かったのかもしれませんが。

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それから、しばらく走り進めるうちになぜか唐突に舗装が現れ「あれ?もうゴール?」と一瞬まごつくのですが、距離的にはまだまだ中間地点。なんだ案外開発が進んでるじゃん?などとガッカリすると同時に藪から開放される安堵感のアンビバレント。

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…なーんて思ったのも束の間。思わせぶりな舗装はあっさり消失してまたダートに逆戻り。それどころか藪が更にパワーアップしとるじゃないかい!

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で、また気まぐれに舗装が復活したり途切れてみたりの繰り返し。何なのでしょう?わざわざここまで砂利道を通りローラー車が入ってきてここだけ中途半端に舗装して帰ったのでしょうか?意味不明。。

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それからふと、過去の経験から嫌な記憶が蘇り足元に目をやるのですが、だいぶ藪を突破してきたせいかもうワケわかんない植物の種子があちこちにひっつきまくりなものの、不快害虫の心配はありませんでした。ここには顔の周りをロックオンする鬱陶しいメマトイもいませんし、多分クマも大丈夫な山域だと思うので、注意するのはイノシシぐらいでしょうか。

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そろそろ林道に飽きてきた頃に突然空が開けたので仰ぎ見る。そして深く息を吸い叫ぶ。「もういい!藪がしんどい!ここから出して~!」(笑)

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ほどなく、願いが天に通じたのかダート区間終了地点である牧場が見えてくる。それと同時に路面の轍(ダブルトラック)もクッキリとしてきてようやく人里に戻ってきた実感(汗)

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しかし、普段は人の通らない場所に突如現れたチャリの来訪者にカラスたちがギャースカと大騒ぎ。そのあまりの騒ぎぶりに反応して今度は牛舎の牛たちもワーワー喚きだす騒動に発展し「うわ!脅かして悪かった!すぐ通り過ぎるから!オマエらこれ以上騒ぐな!たのむよ!」と(汗)

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そんなわけで牧場脇に出てダート区間は無事探索終了。ちゃんとこちら側にも林道の案内が立っていて、もしかしてここは案外通行する地元の人がいるのかも。いや、でもあの藪だから…。もし通るなら春先が無難でしょうね。

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コースの残りは舗装区間なうえに眺望もまずまずの下り基調なのでしばらくはラクチンなサイクリングに。

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途中で遭遇した配水場。こういった施設はこころなしか旧道に多い気がするのですがもしかして世間から隠して配置する意図でもあるのでしょうか。

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舗装されてるとはいえこちら側の道路状況も森の中を巡るような雰囲気なのは林道と同様。

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おっと!古そうな石段を発見!これは何か歴史遺物がありそうな気配プンプンで、泥を掻き強引によじ登ってみたのですが、そこにあった石碑は大東亜戦争(太平洋戦争)の戦没者慰霊碑のようで、どうも個人建立っぽいので写真の掲載は控えておきます。

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そしてこちらが明治県道の終着点。ここを出て左折するとすぐに県道163号と合流し南下して現・市塙駅方面に。明治時代においては市羽村と石碑のある小貝村(合併後一字づつ取って現・市貝町となる)を結ぶ中心道路となっていたようで、古い地形図で確認し改めて当時この道路がどれほど重要だったかが読み取れます。ただ、現在では周辺の県道や国道の整備が進み、また自動車の普及で多少の遠回りがさほど苦にならなくなったせいか、この明治県道も時代の流れとともにいつしか色あせ忘れられてしまったのかもしれません。
といったわけで、後編は石碑の詳細とそれにまつわる歴史調査をご報告する予定です。

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