無料レンタルサーバー
わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
カテゴリー



最近のコメント



カレンダー

06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



プロフィール

たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



ブログ内検索



ご注意!!

工作には多くの危険が伴います。薬品や機械・工具の扱い等、安全の確保には常に各自が細心の注意をはらうようお願いいたします。制作者は時折無謀とも暴挙とも思える信じがたい不注意な行動を取ることがあるかもしれませんが危険行為を推奨するものではありません。また、当ブログに掲載されている内容は必ずしも適切であるとは限りません。もし閲覧者が当ブログを参考に行動し何らかの損害を被っても当ブログ(制作者)は一切責任を負いません。必ず自己の判断と責任において行動してください。



Access Count



栃木県道210号の旧道跡


当ブログのサイクリングネタを閲覧されている方なら、この写真に見覚えがあるかと思いますが、これは以前「不通県道126号」に掲載した琴平峠の佐野市側の登り口で、実はこの時に旧道を見つけてしまい…というか後ろの坂がズバリそれなのですが、そのうち調査しようと思いつつ伸び伸びになっていたのでこのたび再調査という運びに。(またもや地方の無名スポットですみません)

cy_pr210old_c.jpg

そんなわけで、なぜここが旧道と分かったのかというと少し入った所に庚申塔があったので「これは間違いない」と。庚申塔は街道筋や峠の登り口などに建てられ往来の安全を祈願したもので、江戸時代に流行し明治時代には新政府により迷信のレッテルを貼られ撤去が進められたそうで、こうして路傍にひっそりと残っているのはなかなか珍しいように思います。良く見ると「青面金剛」の像が彫られとても味わい深い。これイイ!

cy_pr210old_d.jpg

そしてこちらはズバリ「庚申塔」とあり、文字入りの石塔は江戸時代後期に入ってから追加されたものらしいです(Wiki先生)。ともあれこういったものがあるという事はここも近世には人々の往来があったという事なのではないでしょうか。ちなみに明治時代の地図には「荷車の通せざる道」として地形図に描かれていて、昭和36年に現道である「栃木県道210号柏倉葛生線」が開通するまではその道形が残っていたはずなのですが。。



そしてもう一つ発見していた物が栃木市側上り口の琴平神社参道前にある標石。ほとんど消えてしまっていますが(カーソル・オンで文字を強調)、左方向が「田沼方面(不通県道126号)」を示し、右方向が「葛生方面(現・琴平峠/県道210号)」を指しています。そして側面には「大正15年7月」という日付と「柏倉(現・栃木市柏倉町)」との記載があり、少なくとも大正時代と昭和の初期ぐらいまでは徒歩での通行が行われていたのではないかと予想。ちなみに左折の県道126号の車道改良が困難だったのでその代替路として改良されたのが今回の対象である現・琴平峠/県道210号です。

cy_pr210old_f.jpg

そういったわけで、現在の国土地理院地形図に明治・大正時代の旧道の道形(赤ライン)を重ねてみたのが上図です。人間の二本足というのは意外と走破性が高く、キツイ勾配をものともせず谷や尾根を利用しほとんど直線的に山を越えようとするきらいがあるのですが、一方現代の車輪の付いた乗り物は急勾配や急カーブに弱く、どうしても等高線に沿った蛇行を繰り返し勾配を緩めるように進まねばならず徒歩道と同じルートにはなりえない。そうなると新道が上書きされ旧道が所々寸断されてしまうという憂き目にあい、途切れ途切れとなった旧道は益々利用価値が無くなりその痕跡すら風化していってしまうので、こういったケースは旧道サイクリングとしては不適なのですが、地図から求めた交差ポイントに絞ってその痕跡を求めて現道を巡る手軽な「ぶらり散策」もまた面白いのではないかと思い、新旧6つの地点で地形を調査してみました。

cy_pr210old_g.jpg

まずは交差ポイント(1)。ここは栃木市側登り口のフェスティカサーキットの脇あたりなのですが、もしかしてここかな?…というかここぐらいしか目ぼしい入口がないのでここに仮定するしかないのですが、GPS上では少しズレているといえばズレているので微妙。。

cy_pr210old_h.jpg

次は交差ポイント(2)。ここはカーブミラーの脇に小道があるのがハッキリわかる。やはりGPSの位置と数メートルのズレがあるけどかなり位置関係が合っているのでここはガチっぽい。入ってみたい気もするけどどうせ次の交差ポイントまでの短い距離の藪なので入る必要もないでしょう。今回の趣旨ではないし。

cy_pr210old_i.jpg

交差ポイント(3)はもう全然自信なし。多分標識の立っているあたりを入ってゆくのが旧道だと思うのですが。。そもそも位置があってるのかどうかも微妙。古い地形図の精度がイマイチなのでこのあたりは想像でカバーして楽しむしかありません。ただ、この時同行した友人のI君は「ここを登った先が鞍部になっているし向こう側の空が明るいので怪しい」などと推理を働かせて楽しんでいたようなので、今日ムリヤリ彼を巻き込んでいる自分としては嬉しい(笑)

cy_pr210old_j.jpg

今度は峠付近の交差ポイント(4)ですが、やはり明確な痕跡なし。地形図では旧道が谷沿いに下から上がってくる感じなのですが、自分が立っている現道の石垣の下に平場が通っているように見えるのは単なる気のせいかもしれないし、もしかするとそうなのかもしれない。わからん(笑)現道の工事でだいぶ削ったり盛ったりしてるだろうから、重ね書き旧道の痕跡を探すのは難しくもあり楽しい。

cy_pr210old_k.jpg

そして佐野市に入ってからの交差ポイント(5)は結構わかりやすい。というかモロに現道と旧道を繋ぐ連絡路っぽい造りになっていて、この藪を入ってゆけば次の交差ポイント(6)までのそこそこ長い旧道巡りができそうな気がします。まぁこのジャングル状態ですから入ったところで…という気もしますが、でもこの時同行のI君が「やっぱり冬かな」とポツリとつぶやいたのをオレは聞き逃さなかった(笑)

cy_pr210old_l.jpg

というわけで最後は佐野市側の旧道登り口。前回立ち寄った5月から、真夏の今はもうすでに激しいジャングル状態ですが、もし順調に辿れれば交差ポイント(5)まで行けるはずなので帰路を考慮しマウンテンバイク同伴で突入開始。(ちなみにこの調査は別の日に単独で行っています)

cy_pr210old_m.jpg

中に入るとこんな感じ。往時のように風呂敷を背中に背負う旅姿の人の気持ちになろうと努めて歩いてみる。うん良い感じ!(MTBだけどね)。それと左脇には庚申塔があるはずですがすでに跡形も無く藪に埋没。恐るべし夏のジャンゴー!

cy_pr210old_n.jpg

途中で電力鉄塔がありそのメンテ路として使われているのか、道の形は想像していたよりもかなりハッキリしているけど、雨が流れて沢になった跡が残っていてチャリを漕いで登るのは正直キツイ。素直に押して登る方が良さそうです。

cy_pr210old_o.jpg

そして、登り進めるうちに不意に現れた人工施設に思わず拍子抜け。刈り払いもされていてヤケにきちんと整備されているここは一体どこ?何?

cy_pr210old_p.jpg

…正解は、葛生町の現役配水場でした。こりゃウッカリしておりました。。まぁ旧道が生きているなんて何か理由があるハズですもんね。なるほどそういう事ね。

cy_pr210old_q.jpg

ということで、自分が辿るべき旧道はまだ先まで続いているので早々に配水場を後にするのですが、しかしまぁ、利用目的を失った途端に急に道跡が怪しくなってくるあたりがえげつない。でも見たところ周囲の人工林もきちんと手入れがされているようだし、林業の人だって旧道が利用できるならそのほうが歩きやすいだろうし、おぼろげな状態を保ちながらも案外このまま最後まで辿れたりして。

cy_pr210old_r.jpg

…などという生ヌルい妄想に現実は容赦ない平手打ち!

その先は空が明るい(木が生えていない)ので道跡が続いてるのは確実なんですけどね。いかんせん酷い笹藪なもんで、この背丈と密度だとどうやっても突破は困難なので迂回路を探すしかないのですが…

スマン!今回は撤収します!

cy_pr210old_s.jpg

といったわけで今度は標石のある栃木市側の上り口に来てみました。ここらで県道210号の俗称「琴平峠」の由来である琴平神社の概要を最後にちょっとご紹介してみようかと。ちなみに写真中央の階段が神社の参道で、砂利道の奥が「不通県道126号(行政上は現役)」です。126号については当ブログがすでに踏破調査済みですのでよろしかったら「琴平峠トリロジー(笑)」としてそちらの記事もご参照ください。

cy_pr210old_t.jpg

さて、長くてキツい石段を登り境内に入ってみると、よくもまぁこんな上まで資材を運んで神社を造営したものだと関心するのですが、資料を調べるとその理由も明らかに。しかし長くてややこしいので下記にかいつまんで書きます。

明和8年(1771)に同村の関口市郎左衛門が讃岐金刀比羅宮(現・香川県仲多度郡琴平町)に参拝し無事帰郷。それを住民と祝いこの地に琴平神社を勧請した。やがて明治期に入ると銚子や鹿島などから信仰を集めたという。

というわけで、全国にある金刀比羅神社、琴平神社、金比羅神社もルーツはみな香川県の金刀比羅宮らしく、この相当に長くてキツイ石段も、恐らく本家のこんぴらさんをインスパイアしてこうなったのでないかと想像。
そしてうすうす気づいた方もおられると思いますが、本宮のこんぴらさんが「海上交通の守り神」であり、海無し県の栃木に海の神様という組み合わせの妙もさることながら、わざわざ千葉や茨城といった海沿い地方から海無し県の栃木に信徒が集ったというのが何だか可笑しくて、不謹慎ながらついニヤついてしまいました。

cy_pr210old_u.jpg
境内の石塔には多くが判読不明ながら「大錨(おおイカリ)壹挺(一ちょう) 明治十五年」などという海にまつわるものと思われる文字が散見される

しかしまぁ、移動手段の乏しい当時の交通を考えると、千葉や茨城から何百里も離れた四国を目指すよりも、関東内でそのご利益にあやかれる栃木を目指した気持ちもわからないでもありません。

そんなワケで、この琴平神社とその周辺は近代においてそれなりに賑わいを見せた歴史のある場所だという事がわかり、またひとつ無駄な知識を得られ自分なりに満足です(こんな話に長々とお付き合いいただきありがとうございました;)。あとはまた現地を通りかかった時にでも古老を探して声をかけ、何か面白い話が聞けたらうれしい。そんな感じです。

この記事に対するコメント
はじめまして
栃木市出身東京在住ですが、帰省の度に琴平峠に自転車で行っています。古道に興味あるので楽しく読ませていただきました。

琴平峠の古峠ですが、正月に行きました。切通し坂より浅いですが、明らかに人が削った峠でした。この季節は藪もなく歩きやすいです。

良かったらその時の私のブログ記事をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/nuruhati1559/e/180f0be813993bd4e8e6fce657ea83de

切通し坂探訪
http://blog.goo.ne.jp/nuruhati1559/e/e5e02eef3401801a9fec0c186ded43eb

長文失礼しました。

【2018/01/14 04:20】 URL | nuruhati1559 #- [ 編集]

Re: はじめまして
nuruhati1559 さま
コメントありがとうございます!

仲間に出会えたようで嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします。

P.S.
渋くてかっこいいパスハンターですね!
わかってらっしゃる(笑)
【2018/01/14 16:24】 URL | たらもと #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://wasura.blog86.fc2.com/tb.php/1120-55f6565e