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わすら雑記
趣味の工作、DIY等の雑記
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たらもと

Author:たらもと
「わすら」とは関東地方の一部で使われる方言で、標準語でいうところの「いじくる」の意味なのですが、このブログでは日曜大工をベースに趣味の範囲でいじくれそうな物を色々とわすらしてゆきます。



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塩の道「金山峠」


人間にとって欠かすことの出来ない物質である「塩」。古くから全国各地に海沿いの地域と内陸部とを結ぶ塩の輸送ルートが存在し、ここ北関東にも水戸と宇都宮という主要都市を結ぶ交易路「塩の道」が存在したという。そして、その痕跡を辿るべく、初夏の旺盛な緑の地獄に足を踏み入れる。

さて、物の本によりますと、かつての塩の道(現・茨城/栃木県道51号水戸茂木線)は茨城県水戸市からほぼ直線的に栃木県茂木町に到達し多くの人馬が行き来したという。海産物を運ぶ都合上鮮度の問題から当時はそのような険しい峠越えの最短ルートを辿ったと思われるのですが、自動車の発達とともに急峻なルートを選ぶ必要はなくなり、現在の県道はもう少し勾配を緩くする迂回のルートを描く結果となり現在に至っているようです。
ともあれ、まずは古地図と現在の地形図を見比べていただだけますでしょうか。(マウスオンで新旧の地図切り替え表示)



こうしてみると明治39年(1906)の県道(栃木県道51号水戸茂木線の前身)は主要な街道だったようなのですが昭和15年の地図ではアッサリと「ボツ区間」となり県道は山を大きく迂回して現在と同じルートに変更。さらに昭和54年(1979)には並行する側道が出来てしまいまさに踏んだり蹴ったりな感じですが、それでも100年以上を経て現在でも形が残っているだけで御の字というのが正直なところ。これならチャリでもどうにかムリヤリ辿れそうな感じです(笑)
そんなわけで「金山(かなやま)峠」起点~終点を走ってみようかと。ついでに今回は里道と思われるBルートと、併走する側道も合わせて巡ってみたいと思います。

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さて、ツインリンクもてぎからも程近い、県道51号を少し入ったところが今回の起点です。国土地理院の地形図上では点線(1.5m幅徒歩道の扱い)で表示されていたのに来てみればなぜか林道的な雰囲気なうえ舗装までされていて意外に思ったのですが、登ってすぐに公共設備(変圧器?給水槽?)がありそのための整備路になっているようです。

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しかし舗装はすぐに終り、いい感じのダートが出現。四輪の轍があるのでここから先は林道として利用されているようで、それでも100年以上前の地図にある道がこうして残っているのは嬉しい限り。まぁ何気に勾配が凄い事になってますが(笑)スリップに気をつけながらローギアでペダルを根気よく漕ぎ続けて尾根を目指す。

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急勾配を上りきると森が開けて明るくなり見晴らしは上々。稜線に沿ってしばらくこの状態が続き気持ちの良いオフロードサイクリングに。昨日が雨だったせいか路面は所々ぬかるんでいるところもありますが、林業関係車両に踏み固められているようで概ね走りやすい状態です。

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時折景色を眺めながら漕ぎ進めるも、道はまだまだしっかりと続いており健在。しかし歴史ロマンを掻き立てるような遺構があるわけでもなく往時の姿を想像するのはいくら妄想たくましい自分でもぶっちゃけ難しい(笑)だたし、マウンテンサイクリングの醍醐味はもう充分に満喫させてもらってますけどね!

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しかし、楽しいサイクリングもそう長くは続かず、道は下りに転じたあたりでとうとう恐れていた場面がキタコレ…。幅員は狭まり急激に藪が茂り出していて一気にテンションダウン。。てかまだ県境にも届いてないですよ!?

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引き返すか、それとも押し通るか、15秒ほど考えた末にやっぱり突入(汗)やや倒木が激しいけど、チャリを押して歩けばまだイケル!大丈夫!大丈夫!あとはオレが倒木の下を潜った瞬間にズドン!とギロチンみたいに落ちて来ない事を祈るのみ(汗)

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が、ほどなく…もうだめ(笑)

腰の高さぐらいの若木の密度が上がってきて、道は下りだというのに足やチャリの前輪が前に出てくれない感じがどうにももどかしい。たぶん県境のあたりだと思うのですが藪が酷くなってきていよいよ歩行が困難に。でも引き返すのはもっとムリ!(汗)このまま押し通るしかない!

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生い茂る若木がバネのようにしなり、オレとチャリをボヨン!と押し戻そうとして前に進ませてくれない。距離にすればいいとこ100メートル程度だと思いますが、大汗をかきながら奮闘しつつも時速1キロ以下で進行中…。時折チラチラ見える側道が恨めしい。でもまだ結構な高低差があるので逃げるに逃げられない(汗)

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とうとう道の形が分からなくなるほどに藪が真骨頂を迎えるあたりで敵前逃亡…もとい徐々に右寄りに進路を変え旧道をナナメにそれて側道にソフトランディングを狙う。実はこのまま進んでも旧道は途中で切れて高低差2~3m下の側道にストン!と落下してしまいきちんと接続されない。これは恐らく登り口のスロープにあたる部分が側道の幅員の確保のためザックリと削り取られてしまったのが原因ではないかと思うのですが。。

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というわけで、藪をどうにか脱出プハー!(笑)しかしまぁ、本来なら茨城側から登るのが正統かと思うのですが、側道と旧道の接続部がこのように妙な高低差のある断絶状態なので、入口がハッキリしている栃木側から登って来るしかないのがやや残念ではあります。ともあれ旧道はチャリにて制覇!

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さて、今度は引き続きBルートのほうを攻めてみましょうかね。こちらは峠というよりも近隣集落の里道かと思うのですが、若干遠回りながらも平均勾配的にはラクに茂木中心部に入れるので、百年前の運び屋の中には積荷の納期に余裕がある場合はこっちを通ったりする事もあったのではないかなぁ…なんて妄想してみたり。

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ともあれこちらがBルートの様子なのですが、意外なことに刈り払いされていてとても素敵!メッチャ走りやすい!もしかしてここは民有地で所有者が管理しているとか?…でもそうなると果たして入ってもいいものなのか気になったりもするのですが、今日は休日だから大丈夫かな。

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しばらく進んで、たぶんこの鞍部が県境あたりだと思うのですが、昔の人々が荷を背負って歩く峠の風景を妄想できるしっとりとしたイイ雰囲気です。ちなみにここまで緩いアップダウンが続きますが自転車に乗ったまま進めました。まさに自分が望んでいたトレイルライド!嗚呼マウンテンバイクを駆る幸せ!

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峠の下りはちょっと路面の状態がキビシイ感じですが、大きな倒木箇所以外はどうにか乗車したまま下れる感じで、乗り8:担ぎ2ぐらい。あとは途中に沢が出来ていてぬかるみがやや気になる程度。

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目の前にはもう現実世界が見えているのですが、以前存在したであろう簡素な橋渡しがガッツリ崩壊していてチャリを担いで沢を渡るハメに。写真にも写っていますが、もしかするとあのユンボでまた橋をかけ直す予定なのかも。

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そんなワケでBコースを完走し無事に現実世界に帰還。それから、道が刈り払いされていた理由もここまで来てなんとなく分かったのですが、多分ここは電力会社の送電線(鉄塔)の管理通路になっているのではないかと。写真右奥に白いプラスチックの標柱があるので。
あと、見過ごしてはいけない状況証拠がもう一つ!奥の草むらに石碑がありますね!

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ヨッシャ~!やっぱり「馬頭観音」の碑です。これで馬に荷車を引かせて峠を越えていた事が想像できますね。これがここに有るのと無いのとでは歴史ロマンの妄想プレイに大きな差が出るので非常に重要です(笑)

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さて、次は並行する側道のほうに来てみました。あまり通る人もいないのか草が生えてすでに廃道の臭いがしなくもない雰囲気ですが、ほかにはこれといった特徴の無い舗装路です。

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そして近くにはこんなくたびれた標識がひっそりと残っていました。一応ここが「金山峠」という事を示す唯一の構造物で、そう思うとこんな小汚い案内板もなんだかとても愛おしい。。

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しかし案内をよく見ると「現在地」を示す◎のマークがあり、そのライン上(すなわちこの道路を指す部分)に「県道」と書いてあるのが非常に衝撃的!…てかオマエいつの頃の標識なんだよ!?年代が符合してないぞ!(汗)

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それから余談ですが、明治の地図(国土地理院)や栃木営林署などの行政上ではここ(赤のライン)が「金山峠」ですが、江戸時代の古道である金山峠はもう少しズレた位置(青のライン)らしく、一応栃木県側から辿ってはみたのですが、すっかり水田が開けてしまいマウンテンサイクリング的に微妙だったので今回は明治期以降の金山峠のほうを取り上げてみた次第。まぁ江戸時代の資料なんて閲覧する機会もないしどうせ古文書とか読めないから調べきれないというのもありますけど。。
さて、一通り道を辿ったところで少し周辺の歴史に触れてみたいと思うのですが「茂木町史」に少し記載があるのでかいつまんで転載。

茂木町史 第五巻 通史編一
茂木町の道標や石仏・石塔は旧街道の別れ道などの要所や道筋に多く、旧街道を知る手がかりとなっているものの、その多くはすでに消滅している。ただし「鮎田へ向う三坂の高野坂の中腹にあった金山峠の上り口にはかつて「從是金山峠道」と刻まれた自然石の道標があったという。ここには「寛延元奉侍二十三夜塔」など七つの石塔が並んでいる。


…とあり、文中の「金山峠の道標」は残念ながら消滅していてやはり明確な歴史の痕跡はすでに残っていないようです。

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それから、二十三夜塔(月待信仰の記念碑)は茂木周辺でわりと頻繁に見かける石塔なのですが、金山峠から一番近い石塔群がこれだったのでもしかすると…でも7つじゃないし十九夜塔(月待信仰の女性の会)も含まれているのでやっぱり違うかな。。

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さて、塩の道の痕跡を求め、今度は茂木町の中心部に来てみました。ここにも茂木町史に情報があるので転載してみます。

茂木町史 第五巻 通史編一
旧水戸街道は常陸国から下野国への塩の運搬道としての機能も有していた。この街道が茂木宿へ入る仲の内地内の塩地蔵(年代不詳)があり現在でも地元に祭られている。


というわけで、写真は茂木高校の正門前にある御嶽神社なのですが、実はお目当ての「塩地蔵」はここに祭られているのです。
…とかエラソーに書いてますが実は役場の駐車場に車を停めて歩き回り、近隣の方に色々と尋ねまくってようやくここまでたどり着いたのですけどね(汗)廃道を探すよりもこちらの捜索のほうがある意味苦労した(笑)

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そして、こちらが塩地蔵さまです。当時から願掛けの塩を被りつづけ、イオン化作用により猛烈に腐食しまくって原型すら留めていませんが…こんな痛ましい姿になるまでにどれほど多くの人々の願いを受け止めてきたのか…それを思うと何かこう胸に込み上げるものがありますね。。
ちなみに、今現在は神社の片隅に祭られておりますが、近隣の聞き込みによると元々は通りを少し入った町中にあったそうで、塩の道とその終点の茂木宿を見守るお役目を終え長い休息に就いた…といったところでしょうか。たいへんお疲れ様でございました。。
そして、お地蔵様、おかげさまにて私も塩の道の失われた区間を無事に辿ることがかないました。どうもありがとうございました。

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